遊泳する言葉

言葉が追いつけないものがある。言葉に追いつけないものがある。だから言葉を追いかける……

釘をぬく夏 

学生の頃の夏休み、九州までの帰省の旅費を稼ぐために、解体木材のクギ抜きのアルバイトをしたことがある。炎天下で一日中、バールやペンチを使ってひたすらクギを抜いていく作業だ。いま考えると、よくもあんなしんどい仕事がやれたと思う。毎日、早稲田から荒川行きの都電に乗って、下町の小さな土建屋に通った。場所も忘れてしまったが、近くを運河が流れていた。朝行くと、廃材置き場にクギだらけの木材が山積みされている。作...
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トンボの空があった 

夏は、空から始まる。もはや太陽の光を遮るものもない。真っ青な空だけがある。草の上を、風のはざまを、キラキラと光るものがある。トンボの翅だ。無数の薄いガラス片のように輝いている。少年のこころが奮い立った夏。トンボの空に舞い上がり、トンボを殺すことが、なぜあんなに歓喜だったのかわからない。置き去りにしていたものを、ふと取りに戻ってみたくなる時がある。もはや少年の日には帰れない。けれども古い荷物を、駅の...
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山が近くなる日 

いまの季節、空を仰ぐことが多い。雨の気配が気になる。雨は嫌いではないが濡れたくない。しかし、空気が適度に湿っているのは好きだ。雨上がりの道を、カメやザリガニが這っていたりする。生き物の境界がなくなって、ひとも簡単に水に棲めそうな気がする。なにか原始の匂いが漂う。いつも眺める山が、きょうは近い。そんな日は雨が降る、と祖父がよく言っていた。たぶん大気中の水蒸気が密になって、レンズのような役割をするのだ...
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石の上にも三年とか 

3年という、ひとつの区切りのようなものがあるようだ。ひとつの修業年限であり、ものごとの小さな完結年限でもあるのかもしれない。生まれ出てからの幼年期も、3年と3年の6年とみることができる。最初の3年で、ひと通りの行動や言葉を覚える。次の3年で、子どもによっては特殊な技能や技芸の修練が始まったりする。ひととして大きく成長する。7歳で小学校に入学し学業が始まる。小学校は3年と3年で6年。中学校と高校がそ...
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親父の帽子 

父の死後、3年ほどがたっていたと思う。その頃はまだ、玄関の帽子掛けに父の帽子が掛かったままになっていた。何気なくその帽子をとって、被ってみた。小さくて頭が入らなかった。父の頭がこんなに小さかったのかと驚いた。離れて暮らしていた間に、父は老いて小さくなっていたのだろうか。ぼくも背は高い方だが、父はぼくよりも更に1センチ高かった。手も足もぼくよりもひと回り大きくて、がっしりとした体躯をしていた。父の靴...
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赤土の窓 

こんな詩を書いたことがある。   赤土の窓から   おじいさんの声がするなんじゃこりゃ、と、この赤土の窓ってどんな窓なんだろう、と思われたかもしれない。詩の言葉だから何でもありで、読んだひとが勝手にイメージを広げてもらえばいいし、それを期待しての表現でもあったわけだけれど、その情景を散文で表現しようとすると、すこしばかり言葉の説明がいるかもしれないと思った。祖父が住んでいた家だから、ずいぶん古い。...
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