水の魂

bunsui


その土地は、水が豊富だ。
名水の里とも呼ばれている。
いたるところに湧き水があり、山から谷へと澄んだ水が流れくだり、川は豊かな水量を集めている。
だが、そこから少し山奥へと入ったところでは、昔から水争いが絶えなかったという。
この場合の水とは、もちろん飲み水ではなく、米を耕作するための水だった。
のどかで平和な風景の向こうに、もうひとつの信じられない風景が重なってみえる。

写真は、円形分水と呼ばれているもの。
水を求めて争った人たちの、知恵の結集として造られたもので、貴重な遺産といえる。それは農民の知恵の形であり、溢れつづける水は躍動する生き物の魂にもみえる。
最初の起工は300年以上も前のことのようだ。まず井路開削計画に着手したのが1693年(元禄6年)、だが諸般の事情で通水には至らずとのこと。
その後、現在の場所に通水するまでに200年という長い歳月が経っている。その間、水をめぐる争いは絶えなかったのだろう。

現在の円形分水の完成は1934年(昭和9年)とある。これによって、やっと水争いが解消されたようだ。
「円形分水のできるまでは、3線の幹線水路に導入される水の分配で、互いに反目し合い、組合員が騒動を起し、連日のように水争いが繰り返された」と、傍らの案内板に記されている。
「水は農民の魂なり」とも大書されている。この地域に長く伝えられてきた言葉なのかもしれない。

いま魂の水は、四方に溢れんばかりに流れ出ている。
この円形分水の形も美しい。
山懐に置かれた、動かない水車のようだ。水車は動かないが、水が激しく回転している。
水を農民の魂として争い続けた、この土地で暮らす人たちが残した、熱い魂の勢いにも感じられる。
いまは人影もない、争いもない、静かな山里だ。
この水を守り、田を守る人たちは、この土地に今も暮らしているのだろうか。
流れ出る水のほかには、動くものも聞こえるものも、何もない。





にほんブログ村 ポエムブログ 現代詩へ

テーマ: 書き残したいこと - ジャンル: 小説・文学

活火山

aso02


久しぶりに阿蘇にのぼった。
帰省するたびに、いつも遠くから噴煙ばかり眺めていた。
活動する山がそこにある。そのことが、いつか会いに行かなければならない古い友人が、そこにいるようなのだった。
ずっと気がかりだった。

初めて登ったのは、小学生のときの遠足だった。
すこし怖い山だった。火口近くになると硫黄の匂いが強かった。
何人かが倒れた。慣れない登山の疲労で倒れたのだと思っていたが、噴煙に含まれるガスのせいだったのかもしれない。

次に登ったのは、高校生のときだった。
都会に出ていく友人を送りがてら、なぜか記念にと阿蘇の火口を見にいったのだった。
夕方になって汽車の時間が気になりだし、必死で山を駆け下りた。道があったかどうかも覚えていない。草をかき分けながら、とにかく下へ下へと転がるように山を下った。
汽車には間にあったが、どこの駅だったかも覚えていない。そのあと彼には、長くて不安な夜行列車の旅が待っていたはずだ。あれから彼には会っていない。

草原の道路をカーブするたび、白い噴煙がしだいに近くなった。
草千里の売店のおじさんが、きょうは風向きが悪くてガスが出ているので、火口までは行けないと言う。残念だが引き返すわけにはいかない。こちらは積年の思いが噴火寸前になっているのだった。
火口間近の阿蘇山公園道路の料金所でも、きょうは火口は覗けないと念を押される。さらに、心臓病や喘息の持病はないかと確認された。なんだかとても危険な場所に入ろうとしている気分だ。
あとはもう、行けるところまで行くだけだ。すこしでも火口に近づきたい。そんな思いでアクセルを踏み、火山岩の荒涼たる道を進んだ。

風に感謝しなければならなかった。
それまで火口を覆っていたガスが吹き払われて、立入禁止になっていたロープが外されたところだった。幸運だった。足止めされていた人たちと一緒に火口へと急いだ。
あいかわらず風は強い。大きな火口の中で噴煙が渦巻いていた。かすかに硫黄の匂いもする。その匂いが懐かしい。
あの白い煙の大元がここにあったのか。お前はそうやって、そのような山で有りつづけていたのか。やっとそこへたどり着いた思いだった。

aso06

噴火する山がある。その言葉を思い出す。
N先生は長崎の出身だった。近くに雲仙岳という噴火する山があった。だから自分はときどき噴火するのだ。先生がしばしば口にした言葉だ。
先生はいくども大きな噴火をした。
N式速記を考案した。小中高を通して独特の教育法で一貫教育をする、京都にそんな学校を創設し長く校長を務められた。ある種の暗記法ともいえる特殊な用語をつくり、その普及を試みようとされた。異なる言語の枠をも超えて、英語も日本語も一体として繋げてしまうような、まったく新しい言語の創出だった。要体教育というものだった。

先生との交流は、先生の最晩年の数年にすぎない。
なぜか若造のぼくを信頼し、先生の書物を出版するのを手伝わせてくれた。先生の独創的な思考や言葉を、ぼくは十分に理解できてはいなかったと思う。それにもかかわらず、先生の熱い言葉がぼくの未熟で若い魂を煽った。初めて目にする独特な文字や記号を、ぼくは熱心に理解しようと努めた。
先生が発する溶岩のような熱い言葉が、気弱なぼくの背中をいくども強く押してくれたのだった。いや、押すというよりも殴られたような衝撃だったかもしれない。

先生が体調を崩されたと聞いて、京都の東山の病院を訪ねた。
肺炎を発症したということで、マスクをしてベッドに横になっていた。どの程度の病状なのかはわからなかったが、ときどき咳き込みながらも次の出版の話なども熱く語るのだった。病床にあっても、先生は噴火しつづけているようだった。
だが、それが先生との最後になった。

今回、火口に居れたのは30分ほどだった。
ふたたびガスが火口から溢れ、あたりが一段と硫黄臭くなった。監視員があちこちで危険を叫びはじめる。追い立てられるように山から下ろされた。
山は噴火しつづけるが、人は噴火し、やがて消えてしまう。
先生からは、溶岩のような熱い言葉をいっぱいもらった。
きみも阿蘇の麓で育ったんなら、そのうちきっと噴火するだろう。
そんな先生の言葉が、体の奥にマグマのように残されたぼくは、繰り返し自問しつづけなければならなかった。ぼくの火山は噴火しただろうか。
いや、ぼくはいまだに噴火できないでいます、先生。

aso05






ブログランキング・にほんブログ村へ

テーマ: 書き残したいこと - ジャンル: 小説・文学

五月の風は輝いて

kabuto2


土の兜というものを初めてみた。
九州の妹の夫は陶芸家だ。陶人はさまざまな器を土でつくる。灼熱の火に焼かれて、土は人がイメージする形になる。
大きな一個の器を伏せた形。そこから土の兜はうまれたようだ。
まるで太古の土から掘り出された土器のように、土のもつ渋い輝きと、素朴な原始の匂いがただよっている。
古色を帯びて、落ちついた荒々しさがある。

鉄のような輝きはない。鋭さもない。
しかし、土の温もりと鈍重さがある。冷めた熱をかたく閉じこめて、どっしりと構えている。
風を切って宙で躍動することはないが、埴輪のように地上を踏ん張っている。
はじめて見る土の兜には、そのような強さがあった。

兜と旗(下の写真)は、陶人夫婦の合作だ。
土の兜を陶芸家の夫が焼き、妻である妹が旗を作った。
布で人形や紐なども作る妹は、さまざまな色糸を組み込んでタペストリーを仕上げる。初節句を祝って、孫の名前も織り込んだ。
5月の風が輝いているだろう今頃は、ひとつしかない手作りの兜と旗が、男の子の節句を華やかにしていることだろう。

振り返れば、歳月は風のようだ。
妹もその夫も九州の人間だ。ふたりが出会ったのは、京都の炭山という陶芸の里だった。そこで焼物の修行をしていて、ふたりは知り合った。
妹は写真学校を経て、たまたま陶芸の世界へ入り、相手は写真家の助手から陶芸へ転向。互いに写真と陶芸という、共通の経歴をとおして話が合ったのかもしれない。
陶芸村から軽自動車に乗って、ふたりで九州に戻ってきた。それが、新しい土と暮らすスタートとなった。

工房の前の桜並木は、そのまま城址へとつづいている。
廃藩置県で城は壊されたので石垣しかない。2本の川に挟まれた険しい山上にあった城は、難攻不落の要塞ともいわれた。
伝承によると、およそ800年前、源頼朝と仲違いをした義経を迎えるため、地元の武将・緒方三郎惟栄によって築城されたのが始めという。
九州へ向かおうとした義経の船は、瀬戸内の海で嵐にあって難破。九州行きを断念した義経一行の、苦難にみちた逃亡の旅が始まる。
人はいくども戦い、ただ堅牢な石垣だけを残したのだったか。
何もない城跡に立つと松風がひゅうと鳴って、矢のように芭蕉の句が頭をよぎる。

     むざんやな 甲(かぶと)の下の きりぎりす


sekku





テーマ: 日記 - ジャンル: 小説・文学

山はみどりに

kyusuikei


母に会った。
ぼくのことは覚えていた。
とくに驚いたふうもなく、自然にぼくの名前が母の口からでてきた。それは、なにげない日常のつづきのようだった。過去のいくどかの再会の時や、いつだったかの母の病室を訪ねた時とおなじだった。安堵した。

何をしに来たんかという。会いに来たんだとこたえる。
ひさしぶりに会ったということを、母はぼんやり意識しているようなので、大阪から別府まで船に乗って、それから車を運転して来たんだと説明した。
天気が悪いと船は揺れるやろ、と母がいう。
昔の船旅を、母は思い出しているのかもしれなかった。いまは大きな船だから、ほとんど揺れることはないよとこたえると、そうかと頷いた。

その後すぐにまた、何をしに来たんかとたずねてくる。会いに来たとこたえる。そのようにして、会話はいくども振り出しに戻ってしまう。
母の記憶力が、それだけ衰えてしまっていることを、あらためて知らされることになる。
今のことは今しかないのだろう。会ってる瞬間は、会ってることを自覚している。だが話したことも聞いたことも、記憶には残らずにすぐ忘れてしまう。だから同じ会話が繰り返される。
母にとっては、会った瞬間がずっと続いているのだろう。
ぼくの方は、幼い子供と会ってるような気分になって、もはやこの人はかつての母ではなくて、生まれ変わった母なのだと思ってしまう。

古い話をした。
ぼくのおばあさん、すなわち母の母親の手の甲にはピンポン玉くらいの瘤があった。そのことを話すと母も思い出して、ぼくの記憶力に驚いてみせた。
古い記憶は、まだ母の中にも残っているのだった。
母の実家は饅頭屋をしていたのだが、母が女学生だったその頃の話をしだした。毎朝大きな鍋であんこ練りを手伝わされた。あんこは熱くなると飛び散るので、よく火傷をしたもんだという。
そこには、もうひとりの母がいた。

二日目も同じような繰り返しだった。
母にとっては、昨日のことは何も残っていない。昨日はすっかり消えて今日がある。いくど会っても初めての再会となるのだった。
持参したもみじ饅頭を、入歯を外したままの口でおいしそうに食べた。食べ物はおいしいのだという。だが、食べたばかりの施設の昼食で、何を食べたかは思い出せないのだった。
果物が食べたいというので、三日目はオレンジを食べさせた。もういいというので控えていると、ふたたび食べたそうに手を伸ばしてくる。食べた記憶も、味の感覚もすぐになくなるのかもしれなかった。

レンタカーにはカーナビがついていた。
知っている道だが、とりあえず帰省地の街だけを設定して走りだした。
ぼくは慣れた懐かしい道路を走りたいのだが、カーナビは新しい道や近道へとしきりに誘導しようとして、うるさい。
いくどもナビの声に逆らって走行するうちに、いつのまにか見慣れない道を走っているのだった。
途中で気づいて方向を変えたが、すばらしい新緑の渓谷に迷い込むことができた。狐のような狸のような化粧をした人間たちがいた。そんな不思議な売店で、懐かしいげんこつ飴というのを買った。

カーナビのように、母はぼくの方向を指示することは一度もなかった。
18歳でぼくは家を出た。もしかしたら母にも、ぼくに走って欲しい道はあったかもしれない。ぼくは勝手に自分の道を走りだしたのだったが、あれは母に逆らっていたのかもしれない。
ときには母を憎んだり蔑んだりした。母の思いがわかりすぎる時は、わざとその思いをはぐらかしたりしたこともある。
母はカーナビのように親切でもなかったけれど、うるさくもなかった。
幾日かかけて母が縫ってくれた夜具をもって、ぼくは東京へと出ていったのだった。

そんな古い話もして、母に感謝をすればよかったかもしれない。だが、それはしなかった。
最後の日、母はとても眠たそうで言葉もほとんど出てこなかった。
ばいばいといって手を振ると、布団の中でかすかに母の手が動くのが見えた。その手をとって握手をしたら、水のように冷たかった。
その冷えきった腕の中には、縫いぐるみの犬や猫がなん匹も、しっかりと抱かれていた。





テーマ: 日記 - ジャンル: 小説・文学