遊泳する言葉

言葉が追いつけないものがある。言葉に追いつけないものがある。だから言葉を追いかける……

カビの宇宙

陽が落ちると、虫の声が賑やかになった。夜空の月も輝きを増して明るく澄みきっている。夏から秋へと、昼間せめぎあっていた二つの季節が、夜にはすっかり秋の領分になっている。久しぶりに、風を寒いと感じて窓を閉めた。夏のあいだ開放していた窓を締めきると、どこからともなくカビ臭い匂いがしてきた。いかにも部屋に閉じこめられている感じがする。この感覚は懐かしい。カビの匂いは嫌いではない。カビ臭い部屋にいると、特別...

虫たちとの小さなさよなら

コオロギを飼う子どもだった。そんなぼくは、すこし変わった子どもだったかもしれない。畑の隅に積まれた枯草の山を崩すと、コオロギはなん匹でも跳び出してくる。それを手で捕まえた。尾が1本なのはメス、2本なのはオスだった。いい声で鳴くのはオスの方だが、かまわずにごっちゃに飼った。大きめの虫かごを自分で作り、枯草を敷き、キュウリなどの餌を与えた。家の壁や雨戸などを突き抜けて聞こえてくる、コオロギの透きとおっ...

秋の夕やけ鎌をとげ

きょうは夕焼けがきれいだった。よく乾燥した秋の、薄い紙のような雲に誰かが火を点けたように、空はしずかに燃えていた。急に空が広くなり、遠くの声が聞こえてきそうだった。お~い、鎌をとげよ~と叫ぶ、おじいさんの声が聞こえてきそうだった。夕焼けした翌日はかならず晴れるので、農家では稲刈りをすることになるのだった。祖父は百姓だった。重たい木の引き戸を開けて薄暗い家の中に入ると、そのまま台所も風呂場も土間つづ...

犬は風景を見ない

子どもの頃は田舎で育った。だから、周りは山や川ばかりだった。けれども、山や川のある風景をじっくり眺めたことはなかった。いつも山の中にいた。あるいは川の中にいた。つねに自然の風景の中にいた。風景を外側から眺めることはなかったのだ。すばらしいとか、美しいとか、感嘆の思いで風景を眺めた初めての経験は、いつだっただろうか。たぶん、青年期が始まろうとしたときではなかっただろうか。田舎を抜け出して都会で生活を...

あんたがたどこさ

ぼくが子どもの頃は、子どもたちはみんな、家の前の道路で遊んでいた。ゴム跳びや瓦けりは、男の子も女の子もいっしょになって遊んだが、球技はもっぱら男の子の遊び、鞠つきは女の子の遊びと決まっていた。ぼくも鞠つきには何回か挑戦したが、どうやっても女の子にはかなわない。女の子が手まり唄を歌いながら鞠をついているときは、側でぼんやり眺めているしかなかった。    あんたがたどこさ 肥後さ    肥後どこさ 熊...

つくづく一生

あちこちで、ツクツクボーシが盛んに鳴きはじめた。ツクヅクイッショウ(つくづく一生)、ツクヅクオシイ(つくづく惜しい)と鳴いているらしい。夏の終わりに鳴くセミにふさわしい鳴き方だ。季節に急かされているような、せわしない鳴き方でもある。    この旅、果てもない旅のつくつくぼうしこれは種田山頭火の句であるが、山頭火の放浪の旅にも終わりはあった。昭和14年(1939年)10月、四国遍路を果たした彼は、松...