
Posted: 2012.04.27 (Fri) by yo-yo in
ひと

母に会った。
ぼくのことは覚えていた。
とくに驚いたふうもなく、自然にぼくの名前が母の口からでてきた。それは、なにげない日常のつづきのようだった。過去のいくどかの再会の時や、いつだったかの母の病室を訪ねた時とおなじだった。安堵した。
何をしに来たんかという。会いに来たんだとこたえる。
ひさしぶりに会ったということを、母はぼんやり意識しているようなので、大阪から別府まで船に乗って、それから車を運転して来たんだと説明した。
天気が悪いと船は揺れるやろ、と母がいう。
昔の船旅を、母は思い出しているのかもしれなかった。いまは大きな船だから、ほとんど揺れることはないよとこたえると、そうかと頷いた。
その後すぐにまた、何をしに来たんかとたずねてくる。会いに来たとこたえる。そのようにして、会話はいくども振り出しに戻ってしまう。
母の記憶力が、それだけ衰えてしまっていることを、あらためて知らされることになる。
今のことは今しかないのだろう。会ってる瞬間は、会ってることを自覚している。だが話したことも聞いたことも、記憶には残らずにすぐ忘れてしまう。だから同じ会話が繰り返される。
母にとっては、会った瞬間がずっと続いているのだろう。
ぼくの方は、幼い子供と会ってるような気分になって、もはやこの人はかつての母ではなくて、生まれ変わった母なのだと思ってしまう。
古い話をした。
ぼくのおばあさん、すなわち母の母親の手の甲にはピンポン玉くらいの瘤があった。そのことを話すと母も思い出して、ぼくの記憶力に驚いてみせた。
古い記憶は、まだ母の中にも残っているのだった。
母の実家は饅頭屋をしていたのだが、母が女学生だったその頃の話をしだした。毎朝大きな鍋であんこ練りを手伝わされた。あんこは熱くなると飛び散るので、よく火傷をしたもんだという。
そこには、もうひとりの母がいた。
二日目も同じような繰り返しだった。
母にとっては、昨日のことは何も残っていない。昨日はすっかり消えて今日がある。いくど会っても初めての再会となるのだった。
持参したもみじ饅頭を、入歯を外したままの口でおいしそうに食べた。食べ物はおいしいのだという。だが、食べたばかりの施設の昼食で、何を食べたかは思い出せないのだった。
果物が食べたいというので、三日目はオレンジを食べさせた。もういいというので控えていると、ふたたび食べたそうに手を伸ばしてくる。食べた記憶も、味の感覚もすぐになくなるのかもしれなかった。
レンタカーにはカーナビがついていた。
知っている道だが、とりあえず帰省地の街だけを設定して走りだした。
ぼくは慣れた懐かしい道路を走りたいのだが、カーナビは新しい道や近道へとしきりに誘導しようとして、うるさい。
いくどもナビの声に逆らって走行するうちに、いつのまにか見慣れない道を走っているのだった。
途中で気づいて方向を変えたが、すばらしい新緑の渓谷に迷い込むことができた。狐のような狸のような化粧をした人間たちがいた。そんな不思議な売店で、懐かしいげんこつ飴というのを買った。
カーナビのように、母はぼくの方向を指示することは一度もなかった。
18歳でぼくは家を出た。もしかしたら母にも、ぼくに走って欲しい道はあったかもしれない。ぼくは勝手に自分の道を走りだしたのだったが、あれは母に逆らっていたのかもしれない。
ときには母を憎んだり蔑んだりした。母の思いがわかりすぎる時は、わざとその思いをはぐらかしたりしたこともある。
母はカーナビのように親切でもなかったけれど、うるさくもなかった。
幾日かかけて母が縫ってくれた夜具をもって、ぼくは東京へと出ていったのだった。
そんな古い話もして、母に感謝をすればよかったかもしれない。だが、それはしなかった。
最後の日、母はとても眠たそうで言葉もほとんど出てこなかった。
ばいばいといって手を振ると、布団の中でかすかに母の手が動くのが見えた。その手をとって握手をしたら、水のように冷たかった。
その冷えきった腕の中には、縫いぐるみの犬や猫がなん匹も、しっかりと抱かれていた。
テーマ: 日記 - ジャンル: 小説・文学