遊泳する言葉

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この電車はどこへ行きますか

このところ、電車の夢をよくみる。どこかへ行こうとして乗るのだが、その電車は見慣れない駅に止まって、その先にはもう走らない。仕方なく電車を降りて歩き始めるのだが、街の様子も風景もはじめて目にするものばかりで、どこを歩いているのか、どこへ行こうとしているのかも分からない。それでも歩き続けている。目が覚めると、歩き疲れたという疲労感だけが残っている。まったく割りの合わない夢だ。夢が日常の生活や精神状態を...

恐や赤しや まだ七つ

近所の農家の、納屋の裏の空き地に彼岸花が群生して咲いている。今年はいつまでも暑かったので、花の季節も遅くまでずれ込んでいるのかもしれない。いちめんに血のような、鮮やかな色がみごとだ。   ごんしゃん、ごんしゃん 何故(なし)泣くろ彼岸花を見ると白秋の詩が浮かんでくる。いや、『曼珠沙華(ひがんばな)』という歌が聞こえてくる。というか、とっくに死んだ友人の歌声が聞こえてくる。遺族からもらった今年の年賀...

夢の柵をこえる

おりおりに、黒井千次の短編集を読んでいる。何気ない日常生活の中に、ふっと現われる妖しい夢や危険な陥穽。不思議な土人形の家や、凝視し続ける眼科医院の巨大な眼の残像。シャッタースピード1秒の写真に残るものと残らないもの。ある物の影が、突然、その物の存在そのものになってゆく。夢と現(うつつ)、影と物、それらがひとつになる時、普段ぼくらが見過ごしているものの、もうひとつの形が見えてくることがある。 「彼」...

栗のイガは痛いのだ

ひと月ほど前に、近くの山で栗の実がなっているのを見つけた。それから実が弾けるのを秘かに楽しみにしていたが、今朝、栗のイガが無残に剥かれて散乱していた。まだ白っぽい未熟な殻だ。またもや早々に先取りされてしまった。ぼくの栗ではないけれど、イガが弾けて実が茶色くなるまで、どうして待てないのかと腹が立った。初夏には、グミの実もなる。ピーナツほどの大粒のグミだ。赤くなるのを待っている内に、いつも誰かに採られ...

彼岸と此岸

彼岸とか此岸とか、そんな言葉を、日常われわれはあまり使わない。 仏教語で彼岸とは涅槃のこと、すなわち悟りを得た理想の世界のことをいい、此岸とは現世のことで、われわれが今生きている世界のことをさす、というのが常識のようだ。 ぼくの中では、彼岸は向こう岸のイメージで、彼岸と此岸の間には川が流れている。三途(さんず)の川だ。川のこちらの岸には河原があり、そこを賽(さい)の河原という。 古くて懐かしいような...

彼岸て、どこにあるんやろか

このところ急に涼しくなった。暦の上では秋分、日暮れが早くなった。彼岸とも呼ばれる。昼と夜の長さが均衡し、季節を分けて秋が到来する。そこに彼岸という言葉があると、なんとなく季節の川を渡るイメージもある。気になる彼岸という言葉だが、彼岸というものはどこかにありそうだが、どこにあるのかわからない。時間的には、夏から秋へと季節が変わる、そのどこかにあるのだろうか。真っ赤な彼岸花が咲いている、そのあたりにあ...

カビの宇宙

陽が落ちると、虫の声が賑やかになった。夜空の月も輝きを増して明るく澄みきっている。夏から秋へと、昼間せめぎあっていた二つの季節が、夜にはすっかり秋の領分になっている。久しぶりに、風を寒いと感じて窓を閉めた。夏のあいだ開放していた窓を締めきると、どこからともなくカビ臭い匂いがしてきた。いかにも部屋に閉じこめられている感じがする。この感覚は懐かしい。カビの匂いは嫌いではない。カビ臭い部屋にいると、特別...