遊泳する言葉

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火山は噴火するものだ

阿蘇山が大きな噴火をしたらしい。テレビでも新聞夕刊でも、トップニュースで報じられた。いまや阿蘇山は遠くの山だけど、かつては近くの山だった。真夜中にど~んど~んと噴火する音を、夢うつつにいくども聞いた。朝おきると、あたり一面が火山灰で覆われている。夕方は下校の途中、阿蘇の白い噴煙を眺めながら、その山の方角に向かって自転車をこいだ。噴火のニュースを聞くと、あいかわらず元気でいたかと、懐かしい思いが沸き...

吉野の桜

桜が満開の吉野をはじめて訪ねた。いくどか吉野には行ったことがあるが、桜の季節に訪ねたのは今回がはじめてだ。中千本、奥千本などと千本単位で数えられる吉野の桜、その桜に負けないほどの人出の多さを思うと、ついついこの時期の吉野は敬遠してしまうのだった。やっと桜の吉野、満開の吉野の桜を見ることができた。快晴ではないが薄雲を透かした軟らかい陽射しをうけて、山を覆うように一面の桜色が浮かび上がり、山そのものが...

光は天空にも地上にもみちて

川の流れも、街の流れも、山から海に向かって緩やかに流れ下っている。この街には、流川通りという街の名前もある。川の流れと街の流れが一体となっているのだ。そんな街の風景を一望できる、街のはずれの山際にホテルはあった。部屋の窓から見上げる、その先に盛り上がったような山がある。鶴見岳である。古代からしばしば噴火を繰り返してきたという活火山である。ふところ深くにマグマの熱を蓄えつづけている。その熱気が、温泉...

どこから来てどこへ帰るのか

花公園の翌日は、湯布院へ行く。ワインディング道路の山道を超え、まっすぐな高原の道路を車を走らせるのは爽快だ。ケンタくんも車の運転は好きだというので、途中でドライバーを交替して、ぼくは助手席に座る。移り変わる風景をやりすごしていると、すばやく時が過ぎていくように錯覚する。そんな時の逃げ足に逆らうように、遠い記憶が駆け足で戻ってくる。ケンタくんをベビーカーに乗せて押していたのが、つい昨日のことのようで...

花野の夢は花野へかえす

母の一周忌の法要をする。ネットで手配した白ユリの花が、すでに霊前に供えられていた。ユリの香りが懐かしい。父が行商をしていたころ、どこからか白いユリを持ち帰ってくることがあった。花を飾ることなど滅多にないわが家であったので、白いユリの大きな花は、不自然に豪華であった。特有の強い香りが家じゅうに充満し、よその家になったみたいで落ち着かなかったものだ。そのユリの名前は、土地では箱根ユリと呼ばれているもの...

道づれは水と光と小法師と

東北の旅は、とっくに終わっている。だが、このブログでの旅はやっと終わろうとしている。だいぶ旅の余韻を引っぱってしまった。その間に梅雨も上がり、はや猛暑の夏がはじまって、いまは蝉しぐれの雨に襲われている。旅は楽しいものでもあるが心細いものでもあった。だがら旅は道連れと、小さな道連れを二人つれ帰ってきた。顔も体も不細工だが、なかなか根性がある。転んでも倒れてもしゃんと起き上がる。会津の起きあがり小法師...

その空は水と光にみちているか

見上げると、はるか崖の上に堂宇が見える。「山形領に立石寺(りっしゃくじ)と云ふ山寺あり」と。その山形には、これまで馴染みがなかった。はじめての山形の、雨上がりの湿った空気を深く吸い込みながら、千段の石段をのぼる。木々も岩も垂直に立っている。雨の里を離れて、登るほどに空が青く澄みわたっていく。いつのまにか梅雨の雲を突き抜けたのだろうか。ひたすら石段をのぼる苦役は、楽しい旅の感覚をとっくに離れている。...