遊泳する言葉

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どんぐりころころ

どんぐりの実が落ちていると、おもわず立ち止まってしまう。それは一瞬のことだけれど、なにか貴重なものが落ちているといった感覚がよみがえる。いまではもう拾うことはないけれど、子どものころ、夢中になって拾い集めたことがあった。集めたどんぐりは学校に持っていく。それが何かの原料になるということだった。クラス委員をしていたぼくは、集まったどんぐりを、教材を収納する引き出しに保管する役だったのだが、どんぐりで...

もうひとつの川があった

目をつぶると、ひと筋の川が流れている……という書き出しで、回想録を書いたことがある。ひとつの川のある風景は、ぼくの記憶の原風景でもある。「目をつぶると、ひと筋の川が流れている。夢の中でも夢の外でも、その流れはいつも変わらない。私はときどき、魚になっている夢をみた。川の水を、空気のように吸い込みながら泳いでいる。ひんやりとした水苔の匂いが胸いっぱいに満ちてくる。体が流れているような、漂っているような浮...

夕やけ小やけで日がくれて

秋は夕やけが美しい。日が暮れるのも早い。あっという間に夕やけは消えてしまう。秋の日はつるべ落とし、という古い言葉がある。つるべとは釣瓶のことであり、井戸から水を汲み上げるものだったが、井戸そのものが見かけられなくなった現代では、釣瓶という言葉も死語になりつつある。大阪の祖父の、古い家の庭には井戸があった。暗い井戸の底をのぞくと、深いところで水が銀色に光って見えた。そこへ釣瓶の桶を下ろしていく。光の...

しずこころなく花の散るらん

のどかな日和がつづいている。数日前の荒れた天気で散りいそいでいた桜の花も、このところ散りどまっている。ときたま、ひとひらふたひらと忘れ物のように、どこからか小さな花びらが降ってくる。花映えもなく散る音もしない。しずかに花の祭りも終わろうとしている。花祭りという言葉は美しい。この季節の4月8日は、釈迦の誕生を祝う祭りらしい。「この世は美しい、人の命は甘美なものだ」と言ったという釈迦の言葉が蘇ってくる...

虫だったころ

ことしはいつまでも寒い。冬の季節が足ぶみしている。寒さにふるえているあいだに、時だけがすばやく走り去っていく。アンバランスな感覚に戸惑っているうちに、もう3月になっている。3月だからどうということもないのだが、もう、という思いがくっ付いてしまうことが、やはり日常の感覚と歩調がそろっていない。いつのまにか節分も過ぎ、ひなの節句も過ぎ、地中の虫が這い出してくるという啓蟄(けいちつ)とやらも過ぎた。啓蟄...

ほとけたちの季節

ぶ厚い布団を2枚重ねたように、ふたつの高気圧が日本列島を覆っているそうだ。想像しただけでも暑い。はやく薄い夏掛け布団に代えてほしい。いまは、ひたすら暑さに耐えている。子どもの頃の夏は、午後はずっと川の中にいた。真っ黒に日焼けしていたから、暑いことは暑かったのだろうが、暑いことよりも楽しいことの方が勝っていた。だから、あまり暑いと思ったことがない。川の水で体が冷えきると、岸に上がって砂地に腹ばいにな...

赤土の窓

先日、当ブログに掲載した自作詩『声』の中に   赤土の窓から   おじいさんの声がするという詩行がある。この赤土の窓ってどんな窓なんだろう、と思われたかもしれない。詩の言葉だから何でもありで、読んだひとが勝手にイメージを広げてもらえばいいし、それを期待しての表現でもあったわけだけれど、その情景を散文で表現しようとすると、すこしばかり言葉の説明がいるかもしれないと思った。祖父が住んでいた家だから。ず...