遊泳する言葉

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新しい朝がはじまります

あけましておめでとうございます。またまた新しい1ページを、新しい気持ちで始めたいと思っております。古代において鶏は、神の鳥と呼ばれて崇められていたそうですね。ときにはコケコッコーと大声で叫んでみたいです。ときには羽をいっぱいに広げて空を飛んでみたいです。こんな自己満足なブログですが、ときには覗いて励ましていただけると嬉しいです。どうぞ本年もよろしくお願いいたします。...

終わりはなく始まりばかり

今年もあとわずかになりました。やり終えたことややり残したことなど、また、やり終えたと思っていてもやり残していたり、やり残していると思っていても勘違いだったり、要するに、よく分からないまま、また1年が終わろうとしているようです。だから1年を総括しようなどとも考えないし、この1年は再びだらだらと次の1年に続いていくことになるのでしょう。どこまでも終わりはなく始まりばかりのようです。とりあえず詩集の整理...

かたちになるまで

やっと一段落した。これまでの10年間に書いてきた詩をすべて読みかえし、手を加えたり削除したりして、分類整理する作業がやっと終わった。あえて廃棄したものもあるし、まったくの別物になってしまったものもある。それで良くなったのか悪くなったのかは自分ではわからない。いずれにしてもひと区切りがついた感じがしている。誰かに読んでもらうためではなく、また期待して読んでくれる人もいないだろうけれど、次は詩集として...

季節の終わりと始まり

今朝もまだ、朝顔が咲いている。一時期は花柄もすっかり小さくなっていたが、今朝はまた盛夏の頃に負けないほどの、大輪できれいな花が咲いている。そういえば、まだ夏日の暑さもしつこく残っている。それでも夜になると、暗闇の中では虫の声もしずかな賑やかさで、夜空の月もひんやりと澄み渡ってみえる。どこからか漂ってくる、金木犀の甘い風も心地いい。ゆっくりと季節は移ろっているのだろう。移ろうなどと、なんとなく古めか...

春あはれ、天神さんと鯛焼きと

ウグイスの声がする。どこからか沈丁花の香りが、甘い風をはこんでくる。地中の虫も這い出してくるという、もやもやと春らしい陽気になってきた。願はくは花の下にて春死なむ……せっかちな父は、桜の花を待てずに死んだ。そんな父の祥月命日がきたので、天王寺のお寺にお参りした。黄砂に交じって、あたりを真田丸の風が漂っている。いまは戦場のごとく、多くの車が走りすぎる広い国道わきの神社の入口には、真田幸村戦死の地という...

どこから悪夢はやってくるのか

夜中に、腹が痛くて目が覚めた。この痛みは夢の中からずっと続いていたようだ。奇妙な夢ばかり見ていた。体がよじれるような夢の中から、いきなり暗闇に放り出されたみたいだった。もともと胃腸はあまり丈夫ではなく、しくしく痛みがしみるような腹痛は、甘いものや辛いものを食べすぎたあとなどによく起きることなので、時間がたてばおさまると思っている。しかし今回は、いつもの腹痛とちがって就寝中に起きた。みぞおちを突き上...

今年のおみくじは小吉だった

暖かい正月、暖かすぎる正月となった。昨年の正月と同じように、落葉を踏みながら山道を下り、田んぼの細い畦道を通って、上神谷(にわだに)と呼ばれる古い集落の神社にお参りする。この神社にたどり着くまでの道のりが、ほんの30分ほどの歩行なのに、なんとなく古い時間に戻っていくようで気に入っている。鎌倉時代の創建と伝えられる国宝の拝殿を潜ってお参りする。とくに何かを祈願するわけでもないが、すこし畏まって柏手を...