遊泳する言葉

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神々を探したころもあった

冬至も過ぎた。これから少しずつ光が満ちてくるのだろうか。まだ天体の不思議も知らなかった古代人は、次第に光が失われていく天然自然の変化に、大きな恐れを抱いてはいなかっただろうか。寒くて暗いと、気持ちは沈んでいくし、体の力も失われていくように感じる。なにか熱いものや光るものを求めてしまう。目に見えない恐怖から逃れるために、目に見えない力を求めたくなってしまう。それは神といわれるようなものだったかもしれ...

そこには鳥の世界もある

天王寺のお寺で、母の三回忌の法要をした。3人の僧侶が読経する前で、焼香をして手を合わせただけの、きわめて簡略な儀式だった。お寺という場がひとつの結界だとしても、死者と生者が触れ合う一瞬の時間もなかったかもしれない。死者と生者が出会うそこでは、刻々と時を捨てて死者は死につづけ、生者は生きつづけるしかないのだろう。けれども日常生活においては、母はぼくの記憶の中で生きつづけている。死者も生者もこの世の結...

眠りと覚醒のはざまで

夜中に目が覚めた。みていた夢の続きでもないのに、手のひらに柔らかい感触が残っている。その感触に懐かしさがある。記憶の底深くに沈んでいたものが、突然なんの脈絡もなく、眠りの切れ目に浮かび上がってきたみたいだった。ぼんやりと、記憶のさきに知らない人が現れた。大きな布袋をぶら下げていた。その袋のふくらみをそっと撫でた。なま暖かいものが動いたが、声もかけられなかった。それが子犬との別れだった。子犬は6匹生...

オニヤンマの夏がやってきた

夏の朝だ。いつもの、いつかの夏の朝だ。ことし初めての朝顔の花が咲いた。また騒がしいクマゼミが鳴きはじめた。澄みきった青い空、ふんわりした白い雲。いつもの、いつかの夏が始まった。だが、そう思うのは勝手な思い込みかもしれない。けさ花開いた朝顔の花は、初めての夏の朝の光を知ったのだ。今朝のセミはやっと地上に這い出して、初めての夏の朝の風を知ったのだ。花は細い蔓のさきに、初めて自分の色を浮かべ、虫は初めて...

カニもフグもおよぐ大阪の空

大阪に住んでいるが繁華街、たとえば道頓堀あたりに出かけることはあまりない。御堂筋のイルミネーションがギネス世界記録に認定されたとか、グリコの広告サインがLEDで新しくなったとか、大阪城3Dマッピングがすばらしいとか、なにやら華やかに光り輝いているものに誘惑はおぼえるのだが、バスや電車を乗り継いでまで出かける気にはならない。引きこもりがちな寒い冬は、とくに億劫になってしまう。冷たい水底でじっとしている...

小さな葉っぱは小さな舟で

毎朝、池の前で瞑想をする。池の水面を見つめていると、さまざまな想いが沸き起こってくる。言葉にすれば、迷想といった方が正しいかもしれない。風のない静かな朝は、水面も鏡のように澄み渡っていて、水に写った空の高みが、そのまま池の深さのようにみえることがある。その天空と水底の深みを、ぼくの雑念が木の葉の舟のように浮遊する。心地よいひとときではあるが、水のように心が澄みきることは難しい。大きなケヤキの木があ...

この船はどこへ行くのか

お化けをいっぱい乗せて、この船はどこへ行くのか。遠い国の祭りへと、浮き立つ気分が誘われる。いま10月の海を航行している。ケルト人の1年の終りは10月31日だったという。その日、死者たちの霊が訪ねてくるといわれた。なかには悪さをする精霊や魔女たちも紛れ込んでいる。魔女やお化けから身を守るために、人々は魔女やお化けに仮装するのだった。子どもたちにとっては、楽しい祝祭の日だったかもしれない。魔女やお化け...