遊泳する言葉

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コップ <詩>

コップに水を満たすごくり私のなかにひろがる水域つぎつぎに波を飲みこんでは吐きだしなぜか背泳ぎである水と空気の境いめに浮かんでいる私の半分は嘘であるあとの半分は真実かもしれない進んでいたり止まっていたりあるいは泡ぶくであったり水を満たしたのは誰であるか私は水である私はコップである丸い水を吐き出せばたちまち私は空っぽである...

ここで終わりやで

今年2月1日の早朝、京都の桂川河川敷での、86歳の母親と54歳の息子との会話です。「もう生きられへん。ここで終りやで」と息子。「そうか、あかんか。康晴、一緒やで」と母親。「すまんな」「こっちに来い」「康晴はわしの子や。わしがやったる」京都地裁での検察側の冒頭陳述に、裁判官も目を赤くして言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるように、しきりに瞬きをしていたそうです。毎日新聞(大阪版)の記事によると、「片...

天体と引力 <詩>

天体夜ごと星と星をつないでおはじき遊びのようでしたきいんと澄みわたった音がしてそのとき宇宙は円盤でした夜の端から端へぐるんと旅をするごとにさびしい朝に出会うのでした引力小さな地球のようなてんとう虫を手のひらに載せてみる飛翔しては落ち飛翔しては落ちるかなしい羽音を聞いていました野の草のようにひとも持ち上げたものの重みに耐えていてときどき落ちてくるのはてんとう虫の背中の小さな地球でした...

大阪城のニワトリ

大阪城の内堀に、2羽のニワトリが住みついているらしいです。観光客からは「助けてあげて」などと、お節介な電話が相次いでいるそうですが、大阪城公園の公園事務所では、「警察に届け出れば処分されるだけ」ということで、いまのところ静観を続けているということです。なかなか、粋な取り計らいであるぞ、と太閤さんも言うてはるとか言うてへんとか。少なくとも、ぼくは拍手喝采をおくりました。この2羽のニワトリは、公園の雑...

蕪村の春

春、大阪の川べりでは、堤や河川敷などが野生の菜の花で黄色く染まります。日に日に高くなってゆく太陽の光を照り返して、風景がきゅうに輝きはじめるのです。    なの花や 月は東に 日は西によく知られた与謝蕪村の句です。見はるかす広大な菜の花の原が眼前に浮かんでくるようです。蕪村は1716年に摂津国(いまの大阪府北西部と兵庫県南東部あたり)の毛馬村というところで生まれました。「さみだれや大河を前に家二軒...

花の下にて春死なん

4月8日に、伯母が90歳で亡くなりました。老人施設で、明日は花見に行くという前夜、夕食(といっても、流動食ばかりだったそうですが)を気管に入れてしまったそうです。まさに桜は満開のとき、花の下にて逝ったのでした。伯母の娘が嫁いだ寺で、親戚だけが集まって静かな葬儀が行われました。葬式にしか集まらない親戚です。これも仏縁と言うそうですが、いつのまにか親の世代はいなくなり、集まったのはいとこばかりです。3...

花のいのち

今年も桜が咲きました。最近は咲き初めから満開まで、桜の花の移ろいに、じっくりと浸れる時間が多くなったような気がします。それだけ、隙間のある生活をしているということかもしれません。中空に浮かぶ桜の華やかさを、ひんやりとした影の方から見上げている感じがして、満開の桜をいくら眺めていても、どこかに埋められない隙間が残ってしまう、そんな淋しさが漂う花の季節でもあります。桜にとって開花は、1年の生成のサイク...