遊泳する言葉

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走っているのは誰でしょう

師走という言葉は、年の瀬にいちばんぴったりの言葉かもしれない。走っているのは先生や坊さんばかりではない。みんな走っているようにみえる。忙しい忙しいと言いながら、走る人ばかりが行き交っている。商店街は売り声と呼び込みでとくに慌しい。最近では元日早々から開いてる店も多いわけだから、そんなに買い急ぐ必要もないのに急かされてしまう。早く買わないと品物がなくなってしまいそうな雰囲気です。ごったがえす喧騒の中...

光のほうへ

きょうは冬至。「日南の限りを行て、日の短きの至りなれば也」と、江戸時代の『暦便覧』という本にも書かれているそうですが、きょうは昼間がもっとも短い日なんですね。こんな日があったから、12月はひたすらに光を求める気持ちが強かったのだろうか。明るさが日ごと少なくなってゆくのを、ひとは本能的に察知して光を求めるのかもしれません。ぼくも京都の夜の街を歩き回ったり、流星群の光の放射を浴びたいと熱望したりして、...

始まりと終わり

まもなく今年も終わる。始まったと思ったらもう終わる。そんな感覚をもってしまうのも、年のせいだと分別するのはさみしいことです。子どもの頃は、1年の始まりから終わりまでは長かった。しっかりと区切りがついていた。区切られたぎりぎりのところに重い扉があった。こじ開けると、眩い世界があるような気がしたものです。始まりも終わりも希望と不安に満ちていた。いまは始まりも終わりも、すっかり曖昧になってしまいました。...

星に願いを

毎年12月の今ごろは流星群が現われる季節らしい。ふたご座流星群といい、13日から14日をピークに、毎夜1時間に30個もの流星を見ることができるという。ふたご座のあたりから放射状に降ってくるらしい。光を浴びる感覚が味わえるのだろうか。ぜひ見てみたいと思う。そう思いながら、なぜかいつも見過ごしてしまいます。もう久しく星が流れるのを見たことがありません。都会の夜は明るすぎて、星はほとんど見えないのです。...

おどま かんじん

乞食のことを、九州では「かんじん」と言った。今ではもう聞かれないかもしれないが、ぼくが子どもの頃には、その言葉はまだ生きていました。そして、今も記憶に残るふたりのかんじんがいます。ひとりは女のかんじんで、おタマちゃんと呼ばれていました。おタマちゃんは汚れた着物を着て、大きな風呂敷包みをぶらさげていた。子どもたちがからかうと怒って追いかけてくる。それが面白くて、子どもたちは更にからかっていました。と...

もっと光を!

京都の三条で電車を降りた。地上へあがると、夜の街は光で溢れている。流れる光、瞬く光、広がる光、滲んだ光などが、競うように色とりどりのサインを放っている。路上を行き交う人の群れは、より強い光の方へと引き寄せられていくようにみえる。明るい方へ、光の濃い方へ、光の塊りの方へと、人々の塊りも誘われて動いているようにみえます。だが光に吸い寄せられているのは、ぼくだけかもしれない。昼間の光が少しずつ減らされて...