遊泳する言葉

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帰るところを忘れて

和歌山の勝浦温泉に行ってきた。133メートルの高さから毎秒1トンの水が落下するという、那智の滝水が流れ込む海のあたり。勝浦港の防波堤のように細長く突き出た岬に温泉はある。陸路がないので、ホテルの連絡船に乗って渡る。太平洋に向かって、大きな口を開けたような洞窟風呂があり、忘帰洞という名前がついている。目の前の岩礁で砕けた波の音が、洞窟の天井で反響する。白濁したお湯に浸かりながら水平線を眺めていると、い...

涙は小さな海だろうか

娘の家族が、潮干狩りで収獲したアサリをくれた。さっそく妻が砂抜きをするのだといって、アサリを塩水に浸ける。海水と同じ濃度の塩加減でないと、うまく砂を吐き出さないのだと言う。いつのまに妻はどうやって、海水の濃度など覚えたのだろうか。女だからわかるのか、それとも、年を食っているからわかるのか。女はやはり、海の生き物に近いのかもしれない。塩加減がよかったのか、アサリは活発に潮を吹いたので、すぐさま台所か...

百舌(もず)の国に住んでいる

百の舌と書いて、モズ。 モズ(百舌)という鳥は、二枚舌ならず百枚舌なのでしょうか。まさか。 スズメよりは大きくヒヨドリよりは小さい。精悍な顔をしている。そんな鳥をよくみかけます。 それがたぶん、モズだと勝手に思いこんでいるが、確信はありません。 なんでもいいかげんに憶えてしまう癖があるうえに、相手は百枚舌です。 翻弄される。 それに、まわりが百舌だらけのところに住んでいるのです。 百舌鳥(もず)という地...

飛鳥の風になって

近鉄飛鳥の駅前で、レンタサイクルを借り、中学生の健太くんとふたり、飛鳥の風になって野を駆けた。風が気持ちええなあ、と健太くん。うん、飛鳥は千年の風が吹いてるよってな。特別なんよ。今回は古代の石像なんかを巡るサイクリング。猿石からスタートして、鬼の俎板と雪隠へ。石棺も主が居なくなると、鬼の棲みかになってしまうんやな。iPodをポケットに入れた健太くんが低い声で歌っている。    私のお墓の前で    泣...

蜥蜴(とかげ) <詩>

人間になったときに長いしっぽは捨てたはずだったがゆうべまた失くしたので蜥蜴(とかげ)になろうと決心した体が楽になったのはまっすぐで生きられるからだろう背中が陽に染まる風に染まる水に染まるきゅうに地球がやさしくなったきいろい光の風とあおい草の川と縞もようの風景を生きてみるあたためられた体温でふと失ったものをおもうしっぽのある人間だったら草の上を泳いでふわふわとした恋をする美しいしっぽを誰かにあげたい...

西行桜

1985年4月に桜の吉野山で、作家の中上健次と俳人の角川春樹が対談している。「やっぱりいちばん華やかで、いちばん怖くて気持ち悪いなあ、という感じの時が、この花の時ですね。いちばん妖しい感じですね」と中上がしゃべっている、そんな時季です。路地の作家と呼ばれた中上健次は、1992年に46歳の若さで病死しているから、ふたりの対談が行われたのは、その7年前のことになります。その対談の中で、角川が「桜の人間くささ、動...