遊泳する言葉

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赤いノスタルジー

ヤマモモの実がたわわになっている。赤い実をみると採って食べたくなるのは、飢えていた子どもの頃からの習性だろうか。というよりも、子どもは木の実をとって食べるのが本能みたいなものであり、遊びでもあったのだ。木の実はたいがい酸っぱさと渋み、それにわずかな甘みがある。子どもの頃に甘みに敏感だった舌は、成長するにつれて酸味や渋みに反応していくみたいだ。だから、もはや子どもの頃の味わいは乏しい。木の実の甘酸っ...

若き詩人の手

室生犀星の『我が愛する詩人の伝記』を読む。その中で、立原道造のことを次のように書いている。「彼は頬をなでる夏のそよかぜを、或る時にはハナビラのやうに撫でるそれを、睡りながら頬のうへに捉へて、その一すぢづつの区別を見きはめることを怠らなかった」。   ……   そして 高まって むせび泣く   絃のやうに おまへ 優しい歌よ   私のうちの どこに 住む?             (立原道造『優しき歌...

木にやどる神

クリスチャンではないので、ふだん教会にはあまり縁がないが、旧軽井沢の聖パウロカトリック教会には魅せられた。建物にみせられたのだ。思わず教会の中に入ってしまったが、居心地が良くて、しばらくは出ることができなかった。周りの木々に調和した木造の建物は、柱や椅子、十字架にいたるまで、木が素材のままで生かされており、信仰を超えて、木の温もりの中に神が宿っていそうだった。それは柔らかくて優しい神だった。「初め...

ひとよ 昼はとほく澄みわたるので

この日ごろ、季節の風が吹くように、ふっと立原道造の詩のきれぎれが頭を掠めることがあった。背景には浅間山の優しい山の形が浮かんでいる。白い噴煙を浅く帽子のように被った、そんな山を見に行きたくなった。   ささやかな地異は そのかたみに   灰を降らした……ぼくも灰の降る土地で育った。幾夜も、阿蘇の地鳴りを耳の底に聞きながら眠った。朝、外に出てみると、道路も屋根も草木の葉っぱも、夢のあとのように、あらゆ...

メダカは生き残っているか

レッドカードとか、レッドゾーンという言葉はあまりイメージがよくないが、環境省で刊行されているレッドデータブックというものがあるらしい。こちらのレッドも警告の赤だ。絶滅のおそれのある生物種の名前が列挙されている。環境省の書物を繰ってみるほど、いまは頭がクリアでないので、キッズgooをちらと覗いてみた。日本でいま絶滅のおそれのある種として、次のようなものが出ていた。   哺乳類  ツシマヤマネコ、オガサ...

自分の心をみつめる

最近読んだ旅の冊子の中にあった、「仏とは自分の心そのもの」という言葉が頭の隅に残っている。旅に関する軽い読み物の中にあったから、ことさらに印象に残っているのかもしれない。仏縁とか、成仏とか、仏といえば死との関わりで考えてしまうが、仏が自分の心そのものという考え方は、生きている今の自分自身をみつめることであり、仏や自分というものを死という概念から離れて、もっと明るい思考へと誘ってくれる気がする。宗教...