遊泳する言葉

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雲の日記

小学生の頃の夏休みに、雲の日記というものに挑戦したことがある。絵日記を書く宿題があったのだが、その頃は絵も文章も苦手だったので、雲を描写するのがいちばん簡単だと考えたのだった。確かに雲の観察(?)は簡単だった。白と灰色のクレヨンがあればよかった。日本晴れの日は雲がない。何も描かなくていい、やったあ、だった。それでも1週間も続かなかった。午後は、日が暮れるまで川にいた。湧き水が混じっているので冷たか...

声なき声もあるけれど

ウエブ上の詩会に、詩を投稿するとポイントやコメントが付く。 ぼくの詩などは注目度も低いが、それでもいくらかのコメントが付くのは嬉しいし、詩作の励みにもなる。 他人の詩にコメントするというのは、ぼくも毎回経験しているけれど、大変しんどい作業だ。そのようなしんどさを押してのコメントは貴重なものだし、とてもありがたいと思う。 だが、ウエブ上のコメントはおおむね賛辞だけのものともいえる。それを百パーセント正...

星の本  <詩>

その本を開くとガラス玉のような星がこぼれましたしみだらけの古い本です星を見失わないためにすべての星に名前が付いていました本にはページがなかったけれどページをめくるとときどき闇の夜ですいつも花の栞が挿してあるそこは星占いの海ページをめくると星が生まれページをめくると星が消える星を集めているのはあなたでした本を閉じると星は帰ってゆきますわたしは星が消えた国に住んでいるのであとはただ古い星座の夢をみます...

揺れている

台風が日本列島の南側を荒らして過ぎたあとに、今度は北側の新潟や長野で大きな地震があった。この細長い島は、動き続けるプレートの上に乗っかっていて、地中からも空からも常に揺らされ続けているのだ。四季のあるすばらしい気候に恵まれながらも、いつ奈落の口が開くかもしれない、そんな不安定なところで生きている。大地が揺れて人の命が奪われるたびに、そんな危うさも実感せざるを得ない。行く川のながれは絶えずして……80...

目覚めよと呼ぶ声が聞こえる

あ、夏だった。 とつぜん、セミの声で目覚める。今年はじめてのクマゼミの声が聞こえてきた。 そういえば、台風4号はどうなったのだろうか。夜中に通り過ぎてしまったのか、それとも太平洋に消えてしまったのか。今朝は久しぶりの青空さえ覗いている。 置き土産に、セミをばら撒いていったのだろうか。いや、台風が運んできた夏の気配に、セミがびっくりして地上に這い出してきたのだろう。 今また、クマゼミのうるさくて暑い夏が...

あまだれの死と生と

『あまだれ』というタイトルで、下のような詩をいつもの詩会に投稿した。暗くて哀しいというコメントもあり、あまりポイントは付いていない。要するに評価は低い。☆雨が降ると いつもあまだれをじっと見ている子どものままでいまも樋の下でふくらんでまっすぐ地面に落ちてくるあまだれ 1ぴき死んだあまだれ 2ひき死んだあまだれ いっぱい死んだ小さく膨らんで息をとめる落ちる瞬間が美しい言葉のない合図のようだったおばあ...

夏は、山の水が澄みわたるので <詩>

古い家の納戸の隅とか仏壇とかに小さな暗やみがいっぱいあったけれどおばあさんがいつも座っていた土間につづく台所にも深い暗やみがあったその暗がりに何があったのか覗いたこともなかったけれどこおろぎのようにぴょんとおばあさんの声が飛びだしてくるたまごやき焼いとくさかい早よ帰っといでや坂の道を汽車が駅に着いたときだけ人々のかたまりが通り過ぎる勝手口からおばあさんの大きな声がときどき村人の足をとめる山の上に帰...

朝顔市のころ

今日は七夕。なんとなく、ロマンチックな思いで空を見上げてしまう。織り姫のことを朝顔姫ともいうらしい。アサガオが大陸から渡来した時の名前が「牽牛(けんご)」だった。別名を「牽牛花」ともいい、織り姫は牽牛の妻だったので、朝顔姫という名前がついたという。以上は今日の朝刊からの受け売り。このところ、毎日ひとつずつ花を開くわが家の朝顔姫を見ながら、東京の浅草で今頃は、朝顔市が賑わっているのではないかと思った...

むらさきいろさくかも

7月に入ったばかりの朝、最初のアサガオの花が咲いた。小学1年生のいよちゃんが、学校から持ち帰って植えた残りの種をもらったものだ。ときどき、管理の仕方をあれこれと電話してくる。このアサガオはやはり、いよちゃんのアサガオの分身みたいだ。わが家でアサガオを見るのは久しぶりだ。一時期、毎年アサガオを植えていたことがある。アサガオの花がそばにある生活が憧れだった。新婚の友人の家に泊った夏の朝、窓を開けたらア...