遊泳する言葉

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ペテンダックを食べたい

もう夏の暑さにもうんざりで、いいかげん頭のヤカンも煮えたぎっている。 こうなると思考力と集中力が真っ先にダウン。注意力も弱っているから、言動にもあまり自信が持てない。 とりあえず、タイトルは「ペテンダック」で正しい。あの中華料理の「ペキン(北京)ダック」ではない。 こういう状態だと本を読む気力もない。読みかけの漱石も、夏の初めから栞を挟んだままだ。明暗の淵をさ迷いつづけている。 長いものや重厚なものを...

つくづく一生

あちこちで、ツクツクボーシが盛んに鳴きはじめた。ツクヅクイッショウ(つくづく一生)、ツクヅクオシイ(つくづく惜しい)と鳴いているらしい。夏の終わりに鳴くセミにふさわしい鳴き方だ。季節に急かされているようにも聞こえる、せわしない鳴き方でもある。   この旅、果てもない旅のつくつくぼうしこれは種田山頭火の句であるが、山頭火の放浪の旅にも終わりはあった。昭和14年(1939年)10月、四国遍路を果たした...

瀬戸の夕凪

大阪では、夕方になると風がぴたりと止まって蒸し暑くなる。夏のその時間帯は特別に暑ぐるしく感じる。瀬戸の夕凪やね、とぼくが言うと、みんなは笑う。大阪人は海の近くで生活しているが、ほとんどの人は海に無関心で暮らしている。海岸線が全部埋め立てられて、海が遠くなったこともあるかもしれない。瀬戸の夕凪という言葉を、ぼくは別府で療養していた学生の頃に覚えた。療養所は山手の中腹にあり、眼下に別府の市街と別府湾が...

夏の手紙

きょうも早朝からセミが鳴いている。 セミは、ある気温以上になると鳴き始めるという。セミが鳴いているということは、気温がぐんぐん上昇していることでもある。夏の太陽も顔を出して、きょうの近畿地方は35度をこえる予報が出ている。 セミのことを手紙に書いた。 セミのことばかりを書いた。好きだということを書けなかったので、その想いの量だけ、とにかくセミのことをいっぱい書いた。 ぼくは若かった。 * はじめにマツゼ...

あとは何もない

きょう、詩を投稿した。一週間に一作。なんとか投稿できた。もう、あとは何もない。空っぽ。空虚。おしまい。そのたびに、もうあとは何も書けないと思う。今まではなんとかなった。だが、この先はなんともならないだろうと思う。いつも、そう思う。ひたすら虚脱感に落ち込んでしまう。詩を書くなんてものではない。あるとき、詩が落ちてくるのだ。ぼくは空のコップを持ってただ待っている。たまたま雨だれのように水滴が落ちてくる...

きみの国を探している  <詩>

見上げれば星屑が眩ゆすぎてさすらえば闇が深すぎて若いぼくらは歓喜で眠れなくてそんな国があった言葉でもなく指きりでもなく確かめ合った赤い木の実を食べて甘い草の根をかじってそこにきみの国があることを春には桃色のカーテン夏には光のオブジェ秋には虫たちのトッカータそして冬ひとびとは白い夢につつまれて眠る優しい国があった小さな集落がいくつもありそれぞれの言葉がありそこで生きてそこで死んでゆく山の上にひっそり...

飛球を追って

甲子園の夏が始まった。 高校野球にそれほど関心があるわけではないが、金属バットの鋭い響きがテレビやラジオから流れてくると、繰返される夏の風物のように、懐かしさと熱狂につい引き込まれてしまう。 ぼくらが少年の頃は、都会地の選手と地方の選手では、はっきりと体格に違いがあったような気がする。都会の選手は背が高くてスマートだったし、地方の選手は背は低いががっちりとしていた。 都会の選手は都会の顔をし、地方の...

知らない世界に触れる

神戸市内のある喫茶店で、毎月1回決まった日に、手話カフェというものが開かれているらしい。客は聴覚障害者だけでなく、健常者も訪れるそうだが、店内では手話での交流が行われる。日常、われわれは言葉で交流し、意思や情報を伝え合っているわけだけど、言葉がどこまで正確に伝達を果たしているかは、多分に心もとない部分がある。さらに気持ちや感情を伝えるとなると、はたして、どれだけ的確な言葉で伝えることができているか...

夢の淵

良くない状態かもしれない。最近、しんどい夢をよくみる。崖の上に立っている。そこからどこへも行けない。見下ろすと深い淵がある。とても飛び降りることはできそうにない。そんなことをすれば死ぬ。死の淵だ。そんな崖の上に立っている。以前にも、そんな夢をよくみた時期があった。どうにでもなれと、思い切って飛び降りてみた。夢は夢だけの手ごたえしかなかった。それ以後、そんな夢はみなくなった。ときどき、夢の中で試され...