遊泳する言葉

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コスモス  <詩>

いちまいにまいとうすい花びらを放ちながらわたしたち星になりましたねあなたに教わったカタカナの星の名前は異国を旅するようでさみしいです星のように輝くことはできないけれど星のように小さな目印で生きることはできるゼロと無限それしかないわたしの宇宙はたぶん丸い光がとどく果実のような宇宙でいつか宇宙のような果実をあなたへ届けることができるでしょうかゼロから無限へ無限からゼロへ星の距離を漂いつづける小さなわた...

彼岸と此岸

彼岸と此岸。こんな言葉を、日常われわれはあまり使わない。 仏教語で彼岸とは涅槃のこと。すなわち悟りを得た理想の世界のことで、此岸とは現世のことで、われわれが今生きている世界のことをさす、というのが常識のようだ。 ぼくの中では、彼岸は向こう岸のイメージで、彼岸と此岸の間には川が流れている。三途(さんず)の川だ。川のこちらの岸には河原があり、そこを賽(さい)の河原という。 賽の河原では、死んだ子どもたち...

朝顔の夏が終らない

9月に入っても、大阪では連日30℃以上の熱帯日が続いている。 空は澄みわたり、セミの喧騒も絶え、夜は月の光りも冴えて虫がさかんに鳴いている。 それなのに、夏の灼熱だけが去ろうとしない。秋の静寂の中で夏の太陽が燃えている。不気味でもある。空のカーテンがどこかへ吹っ飛んでしまったようだ。 わが家の朝顔も夏を続けている。 今頃になってもまだ花を咲かせている。早朝、開きかかった細長い花の先に指を触れると、何か...

栗のイガは痛い

ひと月ほど前に、近くの山で栗の実がなっているのを見つけた。それから、実が弾けるのを秘かに楽しみにしていたが、今朝、栗のイガが無残に剥かれて散乱していた。まだ白っぽい未熟な殻だ。今年も早々に先取りされてしまった。ぼくの栗ではないけれど、イガが弾けて実が茶色くなるまで、どうして待てないのかと腹が立った。初夏には、グミの実もなる。ピーナツほどの大粒のグミだ。赤くなるのを待っている内に、いつも誰かに採られ...

虫たちとの別れ

コオロギを飼う子ども。そんなぼくは、少し変わった子どもだったかもしれない。畑の隅に積まれた枯草の山を崩すと、コオロギはなん匹でも飛び出してくる。それを手で捕まえた。尾が1本なのはメス、2本なのはオスだった。いい声で鳴くのはオスだが、構わずにごっちゃに飼った。大きめの虫かごを自分で作り、枯草を敷き、キュウリなどの餌を与えた。鳴き声が好きだった。初めのうちは暗くならないと鳴かなかったが、慣れてくると昼...

つくつくぼうし  <詩>

夏は山がすこし高くなる祖父は麦藁帽子をとって頭をかいたわしには何もないきにあん山ばおまえにやっとよそんな話を彼女にしたら彼女の耳の中には海があると言ったその夏ぼく達はいっぱい泳いだけれどそれは果汁のような海だった夜は砂の上に寝て耳と耳をくっつけて遠い海鳴りを聞いたいま山の上には祖父の墓があるあれから夏が来るたびにぼくは片足でけんけんをして耳の水をそっと出す...

8月のカレンダー

夜中に寒さで目が覚めた。忘れていた感覚だ。窓から冷たい風が吹き込んでいた。 ずっと暑さとの戦いだったから、涼しさの感覚に寝ぼけながら戸惑ってしまった。もう夏は終わっていたのかとか、いまは何月だったかとか、思考と感覚がいっしゅん狂っているようだった。 ちょうど、8月と9月の中間あたりの真夜中だったにちがいない。カレンダーをめくるように、季節が急に変わったみたいだった。 久しぶりにタオルケットを引き寄せ...