遊泳する言葉

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落ちる

落ちるという言葉は、近くに受験生がいるので普段は禁句だ。と言いたいところだが、そんなこともなく平気で使っている。わざと使ってからかったりもするので、いつのまにか、本人も不感症になってしまったようにみえる。ギャグをとばしたり、話の落ちさがしに熱が入ってしまったりすると、落ちるという言葉にも、励ましほどの力があるような気もしてくる。とはいえ、落ちるということは身も心も痛いものだ。子どもの頃、なぜか階段...

心の目がひらくとき

本を読んだり、テレビを観たり、人に会ったりと、いずれの場合もひとはまず目で見て、さまざまなことを感じ判断する。だが、見るという機能をとつぜん奪われたらどうだろう。それこそ目の前が真っ暗になるにちがいない。その時、このひとは、心の中でこう叫び続けたという。(冗談じゃあない! 神様、私はそんな強い人間ではありません。だれよりも臆病で、だれよりも情けない人間です。この大きすぎる運命を、とても受け入れるこ...

電車はどこへ

最近、電車の夢をよくみる。どこかへ行こうとして乗るのだが、その電車は見慣れない駅に止まって、その先にはもう走らない。仕方なく電車を降りて歩き始めるのだが、街の様子も風景もはじめて目にするものばかりで、どこを歩いているのか、どこへ行こうとしているのかも分からない。それでも歩き続けている。目が覚めると、歩き疲れたという疲労感だけが残っている。実に割りの合わない夢だ。夢が日常の生活や精神状態を暗示してい...

恐や赤しや まだ七つ

近所の農家の、納屋の裏の空き地に彼岸花が群生して咲いている。今年はいつまでも暑かったので、花の季節も遅くまでずれ込んでいるのかもしれない。いちめんに血のような、鮮やかな色がみごとだ。   ごんしゃん、ごんしゃん 何故(なし)泣くろ彼岸花を見ると白秋の詩が浮かんでくる。いや、『曼珠沙華(ひがんばな)』という歌が聞こえてくる。というか、とっくに死んだ友人の歌声が聞こえてくる。遺族からもらった今年の年賀...

きょうは空を掃くのだ!

早朝の空の高いところでは、いつも季節がすこし先を進んでいるようにみえる。そこではもう冬の冷たい風が吹いていて、薄い雲が布のように流されている。それは、誰かが箒で掃いたあとのようにもみえる。おでかけですかー? と空から声が降ってくる。掃いていたのは、レレレのおじさんだったようだ。今日ははりきって空まで掃除している。バカボンのパパなら、「お出かけじゃない、帰ってきたところだ」と怒鳴るところかもしれない...

終わりのときに

今朝、近くの林から細い煙のようなものが出ていた。よく見ると、白い蛾だか蝶だかの群れだった。細かい紙切れを撒くように、ひらひらと風に乗って舞い立っている。少しずつ飛散し、道路の上や周りの住宅の間を、たよりなげに舞い続ける。なかには地面や草の上に落ちて動かないのもある。いまごろ蛾や蝶を見るなんて、自然の摂理に適っていないようでもあり、不思議な光景だ。だが昨年の今頃もこんなことがあったのを思い出した。こ...

太鼓の音がきこえる

ここ数日、早朝から夜更けまで、祭り囃子の太鼓の音が聞こえていた。遠くのようでもあるし近くのようでもある。風の加減で子どもたちの囃子の声も混じって聞こえた。あちこちで、秋祭りの準備が進んでいるようだった。そして今日は祭りの本番。太鼓の音に誘われて近くの神社に出かけてみた。宮入りしただんじり(地車)が、次々に神社から吐き出されてくる。勇壮な掛け声とともに、だんじりを引く一団が荒々しく駆け抜けていく。戸...

華やぐ終焉

木々の葉っぱがさかんに散っている。いろいろな形をして、赤や黄色に鮮やかに染まった葉が地面を彩る。落葉は木の葉の終焉である。木は冬の寒さに備え、自らの力で葉を落とす。木は葉の付け根に壁をつくり、栄養を遮断する。すると葉の内部に貯まったデンプンが化学反応を起こして、緑の葉が赤や黄色に変化するものらしい。自然は終わりが絢爛としている。みじめでない。紅葉して燃え立つ。老残ではない。美しい。というのは、89...