遊泳する言葉

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あくがれいづる魂かとぞ見る

鞍馬山を挟んで2本の細い川が流れている。東側の鞍馬川と西側の貴船川だ。鞍馬山を東から西に越え、降りきったところが貴船川で、赤い橋を渡ると川のそばに貴船神社がある。神話によると、神武天皇の母である玉依姫命が、浪速を発って、淀川から鴨川を遡上した時に辿り着いたのが、この貴船の地とされている。だから、この川を鴨川の源流とみることもできる。古代から水との関わりが深く、この地に水を司る神が祀られた。今でも3...

年の瀬の山を越える

関西の私鉄が乗り放題という、フリーチケットを手に入れたので、このところ、たて続けに京都へ行くことになった。大阪淀屋橋から京阪特急に乗って、京都の終点の出町柳で降り、そこから更に、鞍馬線の小さな電車に乗り換える。電車はどんどん山の中へと入っていく。大きな天狗のお面が待ちかまえる、どんづまりの鞍馬駅で降りる。その先に線路はない。そのことが気持がいい。すっかり冬景色になった京都のはずれは、人影もまばらで...

OSAKA 光のルネサンス

寒くて長い冬の夜、溢れんばかりの光に包まれていると、温かいエネルギーが体中に満ちてくるようで、とても幸せな気分になる。いま大阪中之島が、さまざまな色と形の光に満たされている。光のアートで変貌するレトロな建物に驚き、降り注ぐ光と音楽のアーケードを歩きながら、人々は至福のときに浸る。「大阪の街を元気にしたい」をコンセプトに、今月25日までの25日間、アートフルに彩られた街が発信を続けている。中之島は、...

雪がなくては生きていけない

記憶の川が流れている。ぼくの川は小さな川だ。だが、水は豊かで魚がいっぱいいた。終日、夏は泳ぎ、春と秋は魚を釣った。瀬の流れの速さや深さ、砂地や大きな岩のありか、川岸のネコヤナギの枝ぶりや、その下にたむろする赤い腹の魚たち、そんな川のすべて。記憶の川は、変わらずに流れている。山の雪がとけて川になる。そんな川の水は冷たいのだろうか。戦争や旱魃に苦しんでいる国がある。その国を流れる一本の川がある。7千メ...

鴨かもしれない

今年も、近くの池に水鳥がやってきた。鴨かもしれないし、そうではないかもしれない。調べればわかると思う。野鳥図鑑なり、野鳥のサイトを検索すれば、簡単にわかることなのかもしれない。それなのに調べない。面倒くさいこともあるが、わからないままで、鴨かもしれないとか、鴨ではないかもしれないとか、曖昧な鳥が曖昧なままで泳いでいるのが、それはそれでいいと納得してしまう。ぼくと鳥とはそういう関係だ。限られた短い季...

ラブレター

ラブレターにまつわる思い出は、どれもほろ苦くて痛みを伴うものばかりだ。最初の関わりは小学生の時だった。5~6人のグループでいたずらを考えた。クラスのある男子からある女子へラブレターを出す。そんな架空の手紙を、ぼくが清掃委員だというだけで、書き役にされてしまったのだ。好きだとかキスしょうとか、それぞれが好き勝手に言い出す内容を、作文の才もないぼくが手紙らしくまとめていく。内容は覚えていないが、とても...

想像の5シリング

   Imagine all the people   Living for today....想像してごらん みんなが 今を生きているんだと…♪そう歌ったひとりの音楽家が、狂信的なファンの凶弾に倒れたのは、1980年12月8日だった。前衛芸術家のオノ・ヨーコが、ビートルズのメンバーだったジョン・レノンに初めて会ったのは、ロンドンのインディカ・ギャラリー。1966年の11月のこと。個展オープニングの前日、知人とともにひとりの男が現れた。男は...

にしん蕎麦

秋の嵯峨野歩きは、早い夕暮れと、山から下りてくる冷気に追いかけられるようだ。体が温まる美味しいものでも食べて、一日を締めくくりたいと思う。とはいえ、季節の京料理や懐石を食べられる身分でもない。いつも京都に来ると、気軽に食べられるニシン蕎麦に落ち着いてしまう。いつからか、それが京都の味になってしまった。京都のそばが、特別にうまいわけでもない。細くて白っぽい蕎麦は、柔らかめに茹で上がっている。関東のし...

落柿舎の秋

田んぼの畦に、コスモスが咲いていた。やさしげな花色の向こうの、林の中に茅葺き屋根の小さな庵が見える。元禄の俳人・向井去来(1651~1704)が住まいした落柿舎である。去来は、「洛陽に去来ありて、鎮西に俳諧奉行なり」と芭蕉に称えられ、師翁にもっとも信頼された高弟だった。小さな門をくぐって入ると、正面の土壁に笠と蓑が架けられている。この家の主が在宅であることを、訪ねてきた客人に知らせるためだったという。玄関...

あだし野の露消ゆる時なく

京都は、四方を山にかこまれた盆地だ。夏は暑く、冬は寒い。そんな住みにくい土地に、昔から国の中心の都があり、大勢の人々が集まった。戦さがあり、疫病がはやり、飢饉や天災があり、多くの人々が死んだ。死体は東と西の山の麓にうち捨てられ、吹き寄せられた枯葉のように、盆地の隅で朽ち果てていった。「あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の烟たち去らでのみ住み果つる習ひならば、如何にものの哀れもなからん、世は定めなきこ...