遊泳する言葉

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地球の匂い

この夏、地球の外から138日ぶりに帰還した宇宙飛行士の、地球は草の香りがした、という言葉は強く印象的だった。草の香り、木の匂い、これは地球の匂いだったのだ。ぼくは地球の匂いを嗅ぐことを覚えた。軽井沢は、いちだんと木の匂いが強かった。木が多いこともあるし、高地のわりに湿潤な気候のせいもあるかもしれない。つねに木の匂いに包まれていた。夕方になると、重たく下りてくる湿気とともに、木の匂いはますます強くな...

風立ちぬ、いざ生きめやも

その木造の小さな教会は、つねに開放されている。訪れる人々は黙って入り、しばし木製の長いすに座り、薄暗い室内に目を凝らす。壁も窓も、屋根を支える梁も、素朴な祭壇も、すべて木でできている。木から木へと森を抜けてきた風が、そのまま教会の建物を吹き抜けても不思議ではない。風も人も、そして神ですら、自由に行き来する。老成した神は、あえて手を差し伸べることはしない。ただ黙って受け入れるだけだ。そこでは、人は知...

石の教会

神はどこにいるのか。神を捨て、神に見捨てられたときから、ぼくたちは神を探し始めるのかもしれない。何かを捨てたとき、その存在に気付くように。かつて、神は風のなかにいた。風は鳥が運んできた。鳥は神の使いだと信じられた。風は目に見えるものではなかった。ひとは神をただ感じた。神は山にも川にも、木にも草にも、いた。森羅万象、あらゆるものの中に、ひとは神を感じることができた。「天然の中に神の意思がある」と説く...

翅(はね)

夏はひねもす虫を追って森にまよう虫は翅をひらき森を飛びたつ夜は空の翅でぼくは飛ぶ指のさきが星にふれる真珠のしたたり涙のあかりアップルグリーンチングルマだんだん翅が透きとおってゆくよ星は夜明けに翅をとじて夢といっしょに森に落ちる(写真は軽井沢・ペイネ美術館にて。イラストは、レイモン・ペイネの『星を捕まえる』より)...

水引草に風が立ち

雑草の覆った細い道を下りる。小川のそばに水引草が咲いていた。24歳で夭折した詩人の夢が、いつも帰っていった山の麓のさびしい村。   夢は そのさきには もうゆかないという。夢のほとりを歩いた。水引草の花は、見過ごしてしまうほどの小さなあかい花だった。ぼくの夢にはおそらく出てこないだろう。そんな目立たない花だ。そのとき、「水引草に風が立ち」という詩の一節が、風のように頭をかすめた。それで、ぼくは立ち...

星の命名

空のどこかに 始まりと終わりがあるのかいつまでも一日が終わらない ぼくたちの浮遊する魂の 影を見失うころすべてのかげが消えて そこからすべてのかげが あたらしく生まれる幾夜かをつないで 星をかぞえた辿りつけない距離に 距離をかさねた星が生まれるように たぶんきみも生まれた ぼくも生まれた星と星は音のない音で 響き合っていた風は風の始まりを 告げていたかすかに花を揺らすそんな言葉で虫たちがおどろき ...

エルニーニョとドラキュラの夏

豪雨に竜巻。とっくに夏だと思っていたら、まだ梅雨だそうだ。つゆ知らなかった(サムサノナツハオロオロアルキ)。入道雲がすごい勢いで空に伸びていく。いかにも夏らしいと見とれていたが、こいつが曲者だという。太平洋の暖かい水蒸気が、上空の冷たい空気に吸い寄せられて、勢いよく上昇していく。それが入道雲。だが、ときに竜巻になったりするという。屋根でも車でも持ち上げてしまうのだから、想像を絶する怪力だ。梅雨の末...