遊泳する言葉

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天上の音楽

イヤホンでモーツァルトを聴いている。音楽には、目に見えるかたちはないが、イヤホンの細い管をとおって、両耳から頭の中に水のように流れ込んでくるものがある。さざ波立ち、うずを巻き、消えたかとおもうと広がり、音を聴いているぼくは音の中に取り込まれ、音は水の中にとりこまれる。水はぼくの中にあるはずだが、ぼくもまた水の中にある。水のなかで、まだかたちにならないものが、かたちにならないままで浮遊している。水に...

ねずみ

いまでは、いちばん古い記憶かもしれない。祖父に力づくで押さえつけられて、灸をすえられたことがあった。だからずっと、祖父のことを恐い人だと思っていた。その後は離れて暮らしていたので、長いあいだ祖父には会うことがなかった。高校生になり一人で旅行ができるようになって、10年ぶりに祖父と会ってみると、おしゃべりな祖母のかげでただ黙っている、そんなおとなしい人だった。夏休みの短い期間だったが、無口な祖父と無...

落葉の匂い

目が覚めるまでの朝のいつもの屈伸運動をしていたら地べたがだんだん近くなって落葉のにおいに溺れそうになった。ゆうべの夢よりももっと遠いところから満ちてくるいくつもの夜と朝の曖昧なにおいが懐かしい確かめようとしてなかなか確かめられない風のようになって水のようになって漂っていた見つめることと触れることが生きることだった幼い記憶のはじまり土をたべる生き物のにおいを嗅いだそれは秋だったか冬だったか。堆積する...