遊泳する言葉

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ありがとう最後の花

ことし最後の、朝顔の花が咲いている。おそらく最後だろう。日ごとに小さくなりながら、それでも咲きつづけてくれた。こんなに遅くまで咲かせてしまって、申しわけないような気持ちもある。だが、花の数をかぞえる朝があるということ。数えてみようとする期待があるということは、ささやかな朝の喜びでもあった。とっくに夏は終わり、まもなく10月も終わろうとしている。台風もすでに27号と28号が近づいている。その雨が降り...

疾走する秋

小さな葉っぱが小さく さよならをする大きな葉っぱが大きく さよならをする手の平みたいな葉っぱがバイバイと さよならをするたくさんのさよならを ふりはらい ふりはらい秋は疾走する*先日の母の葬儀の礼状に、一枚の小さな栞が添えられてあった。清め塩ではなくて、「清め塩枝折り(しおり)」というものだった。それには次のようなことが記述されていた。「仏教の教えでは、生と死は紙の裏と表のような、はがせない一つの...

南の風をおくる

母に会うために大阪を発ったのだったが、4日間の九州滞在の初日の朝、ちょうどフェリーが別府港に着いたその時刻に、母は息を引き取ったのだった。家に着いて、母の顔にかけられた白布をめくると、目をきゅっと閉じて、眩しいと言わんばかりの顔をしていた。眠ったふりをしているみたいで、いまにも目を開けるのではないかと思われた。苦しかったり痛かったりしたであろう生前の表情は、すっかり消えていた。久しぶりにわが家に帰...

秋の風船

風のように、かすかな気配で通り過ぎるものがある。花が耐えて、やがて散る。葉っぱが枝を、はなれて落ちる。潤いのあるものは、しだいに枯れていく。そのような微かな動きの中に、秋という季節がある。記憶の秋が、乾いた風に運ばれてくる。柿が赤く熟れる。栗のイガがはじける。アケビの蔓を引き寄せる。刈り込まれた稲穂のあまい匂いを吸い込む。夕方になると、傾いた太陽が西の空を焦がしはじめる。きょう一日の秋を収穫したの...