遊泳する言葉

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桜は大いなる幻想である

けさ、うぐいすの声を聞いた。たどたどしかった花の言葉を鳥も、忘れてしまったのだろうか。また、桜の季節がやってきた。桜が咲きほこっている道を歩くと、ああ、これはいつかの道だぞと、また同じ道を同じ景色の中を歩いているぞと、まるで記憶の道をなぞりながら歩いているような気分になる。懐かしいが不安でもある。この落ちつかない心の状態はなんだろう。気持ちの整理がつかないうちに、またたくまに花は散ってしまうのだが...

海は巨大な忘れものである

海が押し寄せてくる波となってなみだの海が涙というものは、悲しいからといって必ずしもでてくるものではないと思う。また、苦しいから辛いからといって、涙がでてくるとはかぎらないだろう。だが予期せずに、自然に涙がでてくるときがある。それは感動の涙ではないだろうか。そのとき心でじかに、なにか大きなものを受け取っているのだろう。押し寄せてくるものを、知らない自分が受け止めているのだろう。それが何であるかを認識...

ええじゃないか

太めのうどんに、刻みネギと黒っぽい濃厚そうなタレがかかっただけの、それが伊勢うどん。ずっと気になっていたうどんを、20年ぶりくらいに食べた。伊勢は、昨秋から始まった式年遷宮でにぎわっている。20年ごとの伊勢神宮の遷宮祭と、20年ぶりの伊勢うどんがどこかで符合していたのかもしれない。こちらは単なる食い気だけの20年ではあったけれど。伊勢うどんはうまかった。濃い色をしたタレもからくはなく、飲み干せるほ...

虫だったころ

ことしはいつまでも寒い。冬の季節が足ぶみしている。寒さにふるえているあいだに、時だけがすばやく走り去っていく。アンバランスな感覚に戸惑っているうちに、もう3月になっている。3月だからどうということもないのだが、もう、という思いがくっ付いてしまうことが、やはり日常の感覚と歩調がそろっていない。いつのまにか節分も過ぎ、ひなの節句も過ぎ、地中の虫が這い出してくるという啓蟄(けいちつ)とやらも過ぎた。啓蟄...

ああ どこかから

ああ、どこかから……って、そのどこかからが、どこかにあればいいなあ、と思ってみたくなる。そのどこかから、なにかいいものが届かないかなあ、と待ってみたくなる。そんな詩がある。ああ どこかからこないかなあなの花びらのような 手がみとマメのような こづつみが――ゆうびいんってスズメたちにデンデンムシたちにこんな詩を書いた104歳の詩人、まど・みちお氏が老衰で亡くなった。こんな詩を読むと、スズメたちやデンデン...