遊泳する言葉

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どこかのどこかで神や仏

賑わう阿倍野界隈の市立美術館で、紀伊半島の古代の神や仏に会ってきた。会場は照明が薄暗いので、視界がおぼろで足元が浮き上がっているような感覚になる。次々に現れてくる無数の木の神像や仏像と対面していると、まるで古い神や仏の世界に迷い込んだみたいだった。これだけたくさんの神や仏が、どこに隠れていたのか。いや、どこから現れてきたのか。かつて、ぼくは紀伊半島の奥深く、車で駆け巡ったことがある。それは神や仏に...

私は私の中へ帰ってゆく

日曜日の朝、レレレのおじさんが通学路の落ち葉を掃いている。いや、レレレのおじさんではなく、いつものガニ股のおじさんだった。長い桜並木の通学路を、おじさんはひとりで掃いている。落ち葉なんかには負けていない、声が大きくて元気なおじさんなのだ。レレレおじさんの奥さんも元気で、毎朝のら猫に餌をやっている。ときにはツツジの茂みから、いきなり猫のように這い出してくるので、びっくりする。そういえば、おばさんは猫...

フランスへ行きたしと思へども

五月の朝のしののめ、うら若草の燃えいづる心まかせに……そんな詩の書き出しを思い出すような、明るくてまばゆい朝。晴れわたった青空の光を吸収するように、高い木のてっぺんで白い花が咲いている。ニセアカシアの花だ。花は天空からふんだんに香りを降りそそぎ、5月の風を甘くしている。その花の名前をはじめて知った頃に、このブログに次のような文章を書いたことがある。「須賀敦子の本を読んでいたら、イタリアの風景の中にニ...

分け入っても分け入っても青い山

公園のベンチにすわって深呼吸をする。遠くに青い山が見える。山はいつも見る風景の中に、変わらずにある。おじいさんにもらった山である。というのは真実ではない。自分の詩の中で、自分勝手に自分のものにした山にすぎない。夏は山がすこし高くなる祖父は麦藁帽子をとって頭をかいたわしには何もないよってあん山をおまえにやるよそんな山だ。引き寄せることも、手に取ることもできない。だから厳然として安泰で、いつもそこにあ...