遊泳する言葉

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そのとき光の旅がはじまる

乳母車を押して雪道を祖母が駅まで迎えにきてくれたずっと昔汽車は忘れるほど駅に止まってたもんや毛糸玉がだんだん大きくなっていく古い服が生まれかわって新しい冬を越すぼくの記憶はまだ始まっていない土手のヨモギは緑のままだった小さな手はさみしいさみしいときは誰かの手をもとめるさみしいという言葉よりも早く手はさみしさに届いている温もりをたしかめるそしてふたたび手を振ってさよならをする手にさみしさが残る重たい...

ときには空を飛んでみたい

ふたりっきりになったからって告白なんかしないでねおじさんの足もう2センチほど浮きあがってるよゆらゆら ゆらゆら空の扉って知ってるみたいねやっぱり本当なのかしらぐるぐる回ってるだけで宇宙まで行ってしまえるなんてさよなら地球のような軽い衝撃ビルも道路も車も電車もごちそうみたいな地上絵だからトレーごとひっくり返してやりましょかきっとゴビ砂漠の端っこでざざざってアスファルトの雨みたいな音がするよおじさんは...

美しい空と海と夕陽があった頃

突き抜けるような青い空から、冬は突然やってきた。そんな初めての冷たい風が吹いた日に、天王寺の一心寺というお寺へ出かける。九州から持ち帰ってきた、両親の小骨を納めるためだった。いつものように境内は大勢のひとで賑わっている。観光地でもないのに、大阪でいちばん賑やかで明るいお寺ではないだろうか。365日ひとときも香煙が絶えることはないという。施餓鬼供養と永代供養の手続きをする。大小の新しい4枚の卒塔婆に...

小さな葉っぱは小さな舟で

毎朝、池の前で瞑想をする。池の水面を見つめていると、さまざまな想いが沸き起こってくる。言葉にすれば、迷想といった方が正しいかもしれない。風のない静かな朝は、水面も鏡のように澄み渡っていて、水に写った空の高みが、そのまま池の深さのようにみえることがある。その天空と水底の深みを、ぼくの雑念が木の葉の舟のように浮遊する。心地よいひとときではあるが、水のように心が澄みきることは難しい。大きなケヤキの木があ...

夕やけ小やけで日がくれて

秋は夕やけが美しい。日が暮れるのも早い。あっという間に夕やけは消えてしまう。秋の日はつるべ落とし、という古い言葉がある。つるべとは釣瓶のことであり、井戸から水を汲み上げるものだったが、井戸そのものが見かけられなくなった現代では、釣瓶という言葉も死語になりつつある。大阪の祖父の、古い家の庭には井戸があった。暗い井戸の底をのぞくと、深いところで水が銀色に光って見えた。そこへ釣瓶の桶を下ろしていく。光の...