遊泳する言葉

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霜柱はなぜ霜柱なのか

冷え込んだ今朝は、公園の草むら一面に霜が降りていた。草の葉っぱのひとつひとつが、白く化粧をしたように美しくみえた。地面がむき出しになった部分では、よく見ると小さな霜柱も立っている。なんだか久しぶりに見たので、それが霜柱だとは信じられなかった。子どもの頃は、よく霜柱を踏みながら登校した。夜中の間に、地面を持ち上げて出来る氷の柱が不思議だった。地中にいる虫のようなものが悪戯をしているのではないか、と思...

なべなべ がちゃがちゃ

ずっと気になっているわらべ唄があった。    なべなべ がちゃがちゃ    そこがぬけたら かえりましょう♪なぜか、鍋があり、鍋はとつぜん底が抜けてしまうのだ。楽しい遊びがとつぜん中断されて、子どもたちはそれぞれの家に帰ってゆく。そんな遠い日の懐かしい光景が浮かんでくる。東京荻窪で自炊をしていた学生の頃、ぼくの手元に鍋といえるものはフライパンがひとつあるきりだった。目玉焼きも野菜炒めも、そしてたま...

蜜の季節

梅が咲いた。枯木のようだった枝のどこに、そんな爽やかな色を貯えていたのか。まだまだ寒さも厳しいが、待ちきれずにそっと春の色を吐き出したようにみえる。溢れでるものは、樹木でも人の心でも喜びにちがいない。懐かしい香りがする。香りは、花の言葉かもしれない。梅は控えめでおとなしい。顔をそばまで近づけないと、その声は聞き取れない。遠くから記憶を引き寄せてくる囁きだ。ぼくは耳をすましてみるが、香りも記憶も目に...

泳ぐことや飛ぶことや

鳥になって空を飛んだり、魚になって水中を泳いだりする、そんな夢をみることは、たぶん誰でも経験することだと思う。かつてアメーバだったころの古い記憶が、ひとの深層にある眠りの回路を伝って、原始の海から泳ぎだしてくるのだろうか。あるいはまた、かつてコウノトリに運ばれた未生の感覚が、意識の底から夢の中へと舞い戻ってくるのだろうか。近くにある公園の池に水鳥が飛来している。この冬は寒さが厳しく、この池も珍しく...

ひとさしゆびの指の先

「ほら、あそこに」と言って、ひとさし指で何かをさし示すとき、自分の指先の形に、ふと父の指先の影を見ることがある。そのときの自分の手に、父の手を見ているような錯覚をするのである。この感覚は、咳払いをするときなどにも感じることがある。もちろん父の咳払いは、私のものよりも勢いがあり、父の手は私の手よりも大きかった。父は背も高かった。成人した私よりも1センチ高かった。体形は私と同じで痩身であったが、私のよ...