遊泳する言葉

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詩人の手

室生犀星の『我が愛する詩人の伝記』を読む。その中で、立原道造のことを次のように書いている。「彼は頬をなでる夏のそよかぜを、或る時にはハナビラのやうに撫でるそれを、睡りながら頬のうへに捉へて、その一すぢづつの区別を見きはめることを怠らなかった」。建築士でもあった道造は、色鉛筆をさまざまに使い分けて葉書を書いたらしい。ドイツ製の色鉛筆の蒐集は、道造のもうひとつの手が愛したものだった。「此の不思議な色鉛...

ひとよ 昼はとほく澄みわたるので

この日ごろ、季節の風が吹くように、ふっと立原道造の詩のきれぎれが頭を掠めることがあった。背景には浅間山の優しい山の形が浮かんでいる。白い噴煙を浅く帽子のように被った、そんな山を見に行きたくなった。   ささやかな地異は そのかたみに   灰を降らした……ぼくも灰の降る土地で育った。幾夜も、阿蘇の地鳴りを耳の底に聞きながら眠った。朝、外に出てみると、道路も屋根も草木の葉っぱも、夢のあとのように、あらゆ...

自分の心をみつめる

最近読んだ旅の冊子の中にあった、「仏とは自分の心そのもの」という言葉が頭の隅に残っている。旅に関する軽い読み物の中にあったから、ことさらに印象に残っているのかもしれない。仏縁とか、成仏とか、仏といえば死との関わりで考えてしまうが、仏が自分の心そのものという考え方は、生きている今の自分自身をみつめることであり、仏や自分というものを死という概念から離れて、もっと明るい思考へと誘ってくれる気がする。宗教...

夢の公園

母親は息子に、ときどき話をしていたのだろう。象や縞馬や、ほかにも、いろいろな動物たちがいる公園のことを。人間が作った動物たちは、いつまでも動かずにじっとしているということを。母親が子どもだった頃も、そして今でもきっと、そのままの公園が街のどこかにあるということを。ある日、少年は突然、夢の公園に行きたいと言いだした。え、どこに、そんな公園あるの? と母親。ほら、いつも話している動物のいる公園やんか。...

ガラス玉遊戯

久しぶりに、いよちゃんに会ったら、前歯が1本なくなっていた。笑ったとき、いたずらっぽくみえる。乳歯が抜けかかっていたのを、えいやっと自分で抜いてしまったらしい。それを見て母親はびっくりしたと話していた。その母親は、初めて乳歯が抜けたとき大声で泣いたものだった。親子でもたいそう違うものだ。わが家に来ると、いよちゃんはどこからか、おはじきを取り出してくる。彼女の母親が、子どもの頃に遊んでいたものだ。ぼ...