遊泳する言葉

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あんたがたどこさ

ぼくが子どもの頃は、子どもたちはみんな、家の前の道路で遊んでいた。ゴム跳びや瓦けりは、男の子も女の子もいっしょになって遊んだが、球技はもっぱら男の子の遊び、鞠つきは女の子の遊びと決まっていた。ぼくも鞠つきには何回か挑戦したが、どうやっても女の子にはかなわない。女の子が手まり唄を歌いながら鞠をついているときは、側でぼんやり眺めているしかなかった。    あんたがたどこさ 肥後さ    肥後どこさ 熊...

つくづく一生

あちこちで、ツクツクボーシが盛んに鳴きはじめた。ツクヅクイッショウ(つくづく一生)、ツクヅクオシイ(つくづく惜しい)と鳴いているらしい。夏の終わりに鳴くセミにふさわしい鳴き方だ。季節に急かされているような、せわしない鳴き方でもある。    この旅、果てもない旅のつくつくぼうしこれは種田山頭火の句であるが、山頭火の放浪の旅にも終わりはあった。昭和14年(1939年)10月、四国遍路を果たした彼は、松...

ペテンダックを食べたい

連日35℃の猛暑。もう、この夏の暑さにもうんざりだ。すでに頭のヤカンも煮えたぎっている。 こうなると思考力と集中力が真っ先にダウン。注意力も弱っているから、言動にもあまり自信が持てない。 とりあえず、タイトルは「ペテンダック」で正しい。あの中華料理の「ペキン(北京)ダック」ではない。 沸騰寸前の頭では、本を読む気力もない。読みかけの漱石も、夏の初めから栞を挟んだままで、明暗の淵をさ迷いつづけている。 長...

瀬戸の夕なぎ

夏の夕方、大阪では風がぴたりと止まって蒸し暑くなる。昼間の熱気が淀んで息ぐるしく感じる時間帯がある。瀬戸の夕凪やね、とぼくが言うと、みんなは笑う。大阪人は海の近くで生活しているが、ほとんどの人は海に無関心で暮らしている。海岸線が全部埋め立てられて、海が遠くなったこともあるかもしれない。瀬戸の夕凪という言葉を、ぼくは別府で療養していた学生の頃に知った。療養所は山手の中腹にあり、眼下に別府の市街と別府...

遠くの花火、近くの花火

幼稚園のお泊り保育の勢いで、その翌日は、孫のいよちゃんがひとりでわが家にお泊りすることになった。すっかり自信のついた顔つきになっている。夕方、いよちゃんのお気に入りの近所の駄菓子屋へ連れていったが、あいにく店は閉まっていた。バス通りのコンビニまで歩けるかと聞くと大丈夫と答えたので、手をつないで坂道をのぼってコンビニまで行く。以前は買物かごの中に、次々とお菓子を入れていくので戸惑ったものだが、いつの...

夏の手紙

きょうも早朝からセミが鳴いている。 セミは、ある気温以上になると鳴き始めるという。セミが鳴いているということは、気温がぐんぐん上昇していることでもある。夏の太陽も顔を出して、きょうの近畿地方は35度をこえる予報が出ている。 セミのことを手紙に書いた。 セミのことばかりを書いた。好きだということを書けなかったので、その想いの量だけ、とにかくセミのことをいっぱい書いた。 ぼくは若かった。 はじめにマツゼミ...

花のなまえ

連日あつい真夏日が続いているが、百日紅の花も負けずに燃えるように咲いている。あちこちで白い花や黄色い花、小さな花や大きな花など、名前もわからないが、それぞれの花が、それぞれの花の時季を迎えて咲いているようだ。こんなただ暑いばかりの夏も、花の季節なのだろうか。炎天下で咲き誇っている、真夏の花の強さを感じる。キハナ(季華)という名の女の子の孫がいる。いつのまにか、女の子とも言えないほど成長してしまった...