遊泳する言葉詩に昇華していく、雑多な言葉たちの遊泳する海になれば……
地上と地下と![]() 元日に、関東に住む義母が亡くなり、早々に正月がどこかへ吹っ飛んでしまった。 三が日は葬儀関係の施設も休日とか、なんだかんだ落ち着かない気分のまま待たされて、ついには9日の葬式になってしまった。 高齢でもあったことと、松の内でもあることから、身内だけで済ませたのだが、少ないひとの集まりはひっそりと、そして静かにそれぞれが引き上げていった。 義母は5年という長い寝たきりの生活だったので、死んでしまえば、反ってあっけない身軽さのような気もしたが、近くで生活をした者にとっては、そのあっけなさの隙間に、あとから淋しさも沁み込んでくるのだろう。 ぼくは久しぶりの関東だったので、近くの川越の街をはじめて歩いてみた。市立博物館で学芸員に館内を案内してもらい、小江戸といわれた川越の歴史や町の成り立ちを聞いた。 そのあと、蔵造りの町並みを歩いたのだが、倉敷などの白壁の蔵とちがって、川越の蔵の壁は黒い。 黒色は江戸の粋だった。職人が長い時間をかけて黒い漆喰を丁寧に何層にも塗りこみ、さらに手の平で撫でて光沢を出していったものらしい。 黒い輝きは、江戸の職人たちの手から滲み出してくる精魂の光なのだった。 関東は風が強い。しかも寒風が吹きすさんでいた。 冬深し幼き頃の歌たのし 岩手出身の義母が倒れる前につくった句だ。今日のような寒い日に、どんな童歌を思い出していたのだろうと思った。 小江戸から江戸へ。池袋に出て地下鉄に乗った。かつて、通勤に使っていた電車だ。乗り換えのとき、駅のスタンドでハンバーグを食べてコーヒーを飲む。それが毎日の朝食だった。 東京では、ひとは移動するたびに地下にもぐることが多い。そして生きるためには再び地上に出る。後楽園駅で地上の生活を始める毎日だった。なんだか地面を境にして、生きたり死んだりしているような生活だった。 夜は築地で、久しぶりに息子が調理する魚を食べた。有明のヤガラやヒゲ鱈という珍しい魚を造ってくれた。旬の牡蠣も、能登の七尾や長崎の小長井産、広島や北海道産のものなど、幾種類か食べ比べさせてもらった。 酔い冷ましに近くの勝鬨橋まで歩いてみる。いまは黙して動かない橋だ。隅田川の風景もビルの夜景に変わった。その向こうに、記念点灯に美しく彩られた東京タワーが、何かの目印のように闇を指さしていた。いつか、あの高みを目指してみようか、いや、それだけのことでは仕様もないかなどという、いつかの逡巡の想いがそのままに、ぽつんと取り残されているようだった。 ライトアップされた築地本願寺の前を通り、ちょうど芝居がはねた歌舞伎座の人ごみを抜けると銀座4丁目。変転する時代、服部時計店はいまも服部時計店なのだろうかなどと、変わらぬ夜空の時計をみあげて、脈略のない考えをしながら地下に下りる。 東京は地上も人が多いが、地下も人が多い。都会の地下は、ひとが移動して生活を変えるためにあるようだ。この日のぼくは生きるためでもなく、旅をするために、しばし地下にもぐった。 ![]() Comment#498 光と光 ザイチさん、
お互いに慌しく、新しい年を迎えたようですね。 ほっとしたところで、今年もまたよろしくお願いいたします。 変わらずにずっと、ブログでも詩会でも近しく付き合っていただき、いつも嬉しく心強く思っています。 そのなかでも、ザイチさんの『ねこやしき』を読ませていただいたことは、大きなエポックだったかもしれません。だから、忘れるなんてことはありません。 ザイチさんが通り抜けてきた、あるいは今も潜り抜けようとされている、そのトンネルの光と闇の一端に、ぼくも触れることができたのですから。 さいごに深海の闇から浮き上がって見た、美しい光の花火。その感動は魂の光となって、ぼくの中に焼き付けられました。光と闇という意識が、ぼくの中で蠢動しはじめたのは、その時からかもしれません。 東京は地上も地下も、光に溢れていました。 都会の人間はまるで闇を恐れているかのように、闇の隅々まで光で満たしているようでした。夜はとくに、地下の方が地上よりも明るく華やかでした。 それだけに、都会人はそれぞれに、心のなかに闇を隠しているのかもしれませんね。 かつてのぼくも、街では闇を隠しもって光の中を歩いていました。もはやエトランゼとなった今では、都会の眩いばかりの光の中を、ただ感嘆しながら通り抜けてきました。それは新しい体験でした。 富士山のことについては、またブログに書くことになるかもしれません。よろしくね。 Trackback地上と地下とのトラックバックアドレス
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“遊泳する言葉を探して…” yo-yo |
#497 光と闇
ここでは2009年お初にお目にかかります。
年末は忙しく、ぽえ会や、yo−yoさんのブログにもお邪魔できず、書きたい気持ちはたくさんあるのに、やることだらけの突風に、吹かれていました。しかも、おとといのことですが、姉が骨折してしまい、私が付き添いで泊まったりして、余裕も何もなく心が行き止まりになったりしていましたが、やっと家に帰れて、やっとPCと向き合うだけの力が蘇ってきたので、ご挨拶にまいりました。
yo−yoさんもめまぐるしい年末年始を過ごされていたんですね。富士山のお写真、とてもきれいでした(^^)日本平(ご存じかな?)とか、三保の松原から見ると、もっとすごいですよ。
義母様がお亡くなりになられたとか、お悔やみ申し上げます。
時代は移ろいでいきますね。私のほうも立て続けに友人やいとこが結婚したり、亡くなったり、せわしない変動の年だなぁと、始まりをかみしめています。
地下のお話、読んでいたら、私が以前にyo−yoさんに見ていただいた、長編小説「ねこやしき」を思い出しました。覚えてくださってますでしょうか、あの作品もUPとDOWN、地下と地上を、生きる方法を追いかけている作品でしたので、感慨深い思いがしました。私はお茶畑ばかりの田舎にいるので、あまりその違いには明るくないのですが、東京にいった際には、感情を内側に固くしまって、行き過ぎる人々に、途方もない壁を感じていました。
人の闇は心の地下にあるのでしょうか。黒色が光に変わるといな・・。
では、長々とすみません。いまさらですがほっぺちゃんのクリスマスや年末年始の日記がふくらんでいるので、見ていただけたら、メロンもらえるより、うれしいです(^^)