遊泳する言葉

言葉が追いつけないものがある。言葉に追いつけないものがある。だから言葉を追いかける……

読み違いする脳 

netbaka


米長邦雄永世棋聖が、将棋のコンピューターソフトと対局して負けたらしい。
ソフトの名前は「ボンクラーズ」という。元名人に勝ったのだから、とてもボンクラどころではない。
1秒間に1800万手を読むというから、すごい。
読みの速さと正確さでは、とても人間の及ぶところではない。終盤の玉詰めの段階では完璧だという。

だが、人間だって負けてはいない。
駒を組み立てていく序盤や中盤での構想力や、勘や経験が生かせる感覚的な部分で、人間のほうが秀でているという。だがそれも、もはや過去の話になったかもしれない。
盤上での、人間とコンピューターとの戦いは、すでに20年以上も続いている。
その間、コンピューターのほうはめきめきと腕を上げて、ついには名人をも負かすほどになった。
この対戦は、どこまで行くのだろうか。

将棋ソフトと対戦したことはないが、日々コンピューターとは対局(?)している。
モニターをにらみながらキーボードを打ち、文章を書いたり読んだりしている。さまざまな画像を見たり投稿したりしている。グーグルで検索したり、ネットサーフィンしたりもしている。
コンピューターを活用しながら、ときには活用されているのではないかと思うこともある。
この便利な器械には、使いながら使われているような、そのスピードと便利さに追いついたり追いつかれたり、しばしば戸惑いながら立ち止まってしまうことがある。

そんなとき、気になる本が目について読んでみた。
ニコラス・G・カー著『ネット・バカ』という本。副題が「インターネットがわたしたちの脳にしていること」。
タイトルも副題もとても気になった。もしかしたら、ぼくはすでに、だいぶバカになっているのかもしれない。衝撃的な日本語のタイトルに、ぼくはビビってしまったのだ。
だが原題は“The Shallows”。浅瀬という意味らしい。
このタイトルは象徴的だ。
「ウェブは短く、感じが良く、断片的なものが好まれる傾向がある」という。深みではなく、さらさらと流れていく情報の浅瀬。それは思考の浅瀬でもあるようだ。

著者であるニコラス・G・カーが、ダイヤモンド・オンラインというウェブのインタビューにこたえている。
「英語の原題は“The Shallows”だが、“バカ”というよりも人間を“浅薄”(shallow)にするという意にちかい。(インターネットは)物事について創造的に、複雑に、概念的に考えることを、(人間に)できなくさせる傾向がある、と言っているまでだ」。
「私がこの本で言いたかったことは、とにかくテクノロジーのプラスの面ばかりを見るなということだ。コストやマイナス面にも注意を払え!ということだ」。
「われわれの思考の豊かさは、自分の脳の中にあるつながりから来るのであって、脳の外に存在するネットワークにあるつながりから来るのではない」などと語っている。

350ページもの大部を活字がびっしりと埋め尽くした、かなり読みでのある本だ。この本の存在自体が、こま切れのウェブ文書が氾濫することへの、印刷されたテキストによる抵抗にもみえる。
著者は述べている。
「紙からスクリーンへの移行は、書かれたものをいかに読み進めるかといった、読み方を変化させるだけではない。テクストに対する注視の程度や、テクストへの没頭の深度にも影響を与えるのである」と。

第1章の「HALとわたし」から第10章の「私に似た物」まで、まるでウェブのリンクをたどるように、さまざまな著作からの引用で満たされている。そして、その注釈だけでもかなりのページを割いている。
「脳は血液などの分泌物に似ている」といったアリストテレスから、「メディアはメッセージである」といったマクルーハンまで、これでもかこれでもかとばかり応援に駆り出される。
「われわれは道具を作る。そしてそののち、道具がわれわれを作る」。
「われわれはコンピューターをプログラムする。そしてそののち、コンピューターがわれわれをプログラムする」。
そして究極は、
「ソフトウェアが賢くなれば、ユーザーはバカになる」と。

本を読み終わったぼくは、キーボードを打ちながらこの文章を作っている。書くというよりも作っている。この感覚は嫌いではない。
いつからか、鉛筆で文字を書く習慣はなくしてしまっている。これもまた、道具に作られているということなのだろうか。
対局前の米長永世棋聖は、将棋ソフトと150局ほど対戦してみて、入念にボンクラーズ対策を練ったという。その結果、人間相手ではあまり指されない、最善の戦法を用意して実戦に臨んだ。
作戦はうまくゆき、中盤までは優勢だった。だが元名人には、読み違いがあった。そうなると、コンピューターは容赦しない。
人間の脳は、読み違いすることも負けることも、知っていた。





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