遊泳する言葉

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自分の心をみつめる

自分の心をみつめる


最近読んだ旅の冊子の中にあった、「仏とは自分の心そのもの」という言葉が頭の隅に残っている。旅に関する軽い読み物の中にあったから、ことさらに印象に残っているのかもしれない。
仏縁とか、成仏とか、仏といえば死との関わりで考えてしまうが、仏が自分の心そのものという考え方は、生きている今の自分自身をみつめることであり、仏や自分というものを死という概念から離れて、もっと明るい思考へと誘ってくれる気がする。

宗教としての仏教は、難しい教義や儀式があって、われわれの日常生活からは遊離してしまっている。葬式や法事など、儀式としての形だけで関わっているにすぎないともいえる。
しかし、われわれも時には、本来の仏教がもっているにちがいない、生きるための宗教としての部分にも触れてみたいと思う。
丹田に力を込め、静かに呼吸を整えながら瞑想をする。深い呼吸によって体のリズムを整えれば、一時なりとも雑念が取り払われて、ありのままの自分の心がみえてくるのではないか。
ありのままの心などどこにあるのかと問われれば、あまり自信はないけれど、とりあえずはストレッチでもやるような、軽い気持でやってみてもいい。

普段は敬遠しがちであるが、もともと禅の核心にある教えは、「とらわれない、こだわらない、かたよらない、ありのままの心の状態になる」といった、シンプルで解りやすいものらしい。もとは何でも簡素なものなのだ。
そのような無我無心の境地に到ろうとすることが、古代インドで行われていた一般的な修行法だった。
そこから得られるものが「仏心」といわれるもので、仏心とは「そもそも心が安全な場所なんかないのであり、その事実を素直に受け入れること」をいうらしい。じつに素っ気ないものだ。心の安心はないということを知って、心の安心を得ようとするのだ。

さらに、「静かに自分の心を見つめ磨きをかければ、無垢の輝いた仏心が現れる」という。
この言葉は観念的で理解しにくいが、この究極の状態を悟りをひらくというのだろう。だが、そこまで到ろうとするのは、われわれ凡人にはどだい無理な話だし、到ろうとすればするほど、そこで仏(仏心)はまた遠ざかってしまうだろう。

花や木や山の存在は目に見えるし、手が届くかどうかの距離の判断もできる。けれども、心の距離は見ることも捉えることもできない。たとえ自分自身の心であっても、宇宙のように果てなく遠いかもしれない。
しかし、ときには静かに深く呼吸することによって、すこしは自分の心の深奥に近づけるかもしれない。自分の心をみつめるということは、心身をリフレッシュするということでもあるようだ。



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Category: 新エッセイ集
Published on: Fri,  16 2017 07:38
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2 Comments

ザイチ  

ご無沙汰しております!
yoーyoさん、お元気ですか?


ザイチ小生、長いトンネルからやっと抜け出ました。
私も自分の心を見つめていました。
でももう過去にとらわれるのはやめます!
ものかき記念座一として、自分を出し惜しみせず、どんどん出していこうと決めました。
yo-yoさん、今まで温かいお心をありがとう。
ことばを、感謝の花束にしてお送りします。

私は今、人生を楽しんでいます~~~。(^▽^)



動画小説 『ねこやしき』~生きててよかった~(予告編) 過去と決別できないすべての病める大人たちに。
https://www.youtube.com/watch?v=mxVY4i-fW2M

2017/06/20 (Tue) 16:54 | EDIT | REPLY |   

yo-yo  

よかったね☆

よかった、よかった、よかったね☆
ザイチさんとの☆の合言葉は、ななつだったかな?
あとの、よっつは心の中で送るね~☆

2017/06/22 (Thu) 07:03 | EDIT | REPLY |   

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