遊泳する言葉

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ひとはなぜ、絵を描き始めたのだろうか

ひとはなぜ、絵を描き始めたのだろうか


先日、近くの大阪府立弥生文化博物館に行ってきた。
およそ2千年前の弥生時代の土器や銅鐸に線描きされた絵は、見ているとどれも妙に懐かしいものがあった。
どこかで見たことがあるような懐かしさだ。それは幼児が初めて描く絵と似ている。ひとは誰でも、幼い頃そんな絵を描いていたにちがいない。
身近にある物のかたちを写し取ることができた喜びを、親子で味わった瞬間があると思うが、絵というものを初めて認識したときの、そんな懐かしい感覚が呼び覚まされるような気がした。

弥生時代に描かれた絵には、鹿、鳥、魚、人物や建物、舟などがあるが、なかでも、いちばん多く描かれているのは鹿のようだ。
当時は、鹿は身近に多くいた動物だったのだろうか。鹿は四季の移ろいに合わせて体毛や角の色が顕著に変化する動物だそうで、とくに春から秋への変態は、稲作農耕の田植えから収穫へのサイクルと、ちょうどマッチしていたのではないかと考えられている。
弥生人にとって、鹿は動く暦だったのだろうか。生長してゆく稲や鹿の色や形の移り変わりを、弥生人は大きな自然の変遷として見つめていたのかもしれない。

鹿の絵の中には、背中に矢が刺さったものもある。弥生人たちは鹿を狩猟して、その肉を食用にしていたようである。
飢饉や天災と戦っていたであろう彼らにとって、鹿は命をつなぐ大切な糧であり、農耕の指針であったが、また一方で、ひとは生きるための神の啓示も鹿に求めていたのだった。
彼らは鹿の骨を焼いて吉凶を占ったらしく、黒く焼けた鹿の骨も多く出土している。彼らは、さまざまな予測できない未知なるものに取り囲まれていたのだろう。

ところで、土器などになぜ鹿や鳥の絵が描かれたのだろうか。
それは、伝達するという意味があったという。伝達といっても人から人へではなく、神への伝達だったと考えられている。豊穣を神に願っての農耕儀礼だったのだ。
弥生人にとって、鹿は特別に神聖な動物とされていたようだが、鳥もまた神すなわち精霊が住む空を飛ぶところから、神への使い、あるいは死者の魂を天に運ぶ生き物と考えられていた。
四季に合わせて変容する鹿を追い、空を舞う神の鳥を見つめていた弥生人の宇宙は、豊かで広大なものだったかもしれない。

やがて弥生時代の後期になると、弥生人の描く絵はそれまでの具象画から、線や円といった記号が多くなり抽象化してゆく。これは、弥生人たちの間でそれまで伝承されてきた、農耕祭祀の意義が次第に薄らいでいったからではないか、と考えられている。
ひとが集団で生活を始め、米などの食料や農具や刃物などの鉄器が蓄えられるようになると、集落間の略奪などが起こり、さらには戦争へと進展していく。
鹿や鳥への素朴な崇拝から、銅矛(どうほこ)や銅戈(どうか)をかたどった祭器が作られるようになり、急速に武力崇拝へと移っていったようである。

鹿や鳥をはじめ、トンボやカメ、トカゲやクモなどが描かれていた時代は、動物や昆虫とヒトが、さらには死と生と、悪霊と神とが同居していた、ひとときの平和な時代だったのかもしれない。



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Category: 新エッセイ集
Published on: Wed,  19 2017 11:27
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