遊泳する言葉

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遠くの花火、近くの花火

とおい花火、ちかい花火


幼稚園のお泊り保育の勢いで、その翌日は、孫のいよちゃんがひとりでわが家にお泊りすることになった。
すっかり自信のついた顔つきになっている。

夕方、いよちゃんのお気に入りの近所の駄菓子屋へ連れていったが、あいにく店は閉まっていた。バス通りのコンビニまで歩けるかと聞くと大丈夫と答えたので、手をつないで坂道をのぼってコンビニまで行く。
以前は買物かごの中に、次々とお菓子を入れていくので戸惑ったものだが、いつの間にかすっかり遠慮深くなって、かごの中には好物のグミを1袋入れただけ。なんでも欲しいものを選んだらいいよと言うと、そこでラムネ菓子を1個入れただけで、もういいと言う。
さらに促すと、ヤキソバ風と表示されたスナック菓子を手に取った。
場所を変えて、いよちゃんの好きなアイスクリームのボックスへ誘導する。小さな手が箱入りのチョコアイスを選んだので、そこへ、ぼくがカキ氷を3個ほうり込んだ。
レジに行ったら、目の前にきれいな花火セットが並んでいる。今夜は花火だということになって、いよちゃんが選んだのは、たまごっちのキャラクターで包装された花火の詰め合わせ。その袋を眺めながらの帰り道、たまごっちのファミリーを教えてもらったが、多すぎて、ぼくはどれも覚えることができなかった。

まだ、いよちゃんが生まれる前、マンションの9階に住んでいた頃は、居ながらにして大阪中の花火が見られたものだった。
7月の25日は天神祭りの花火。祭りのテレビ中継を観ながら、花火が上がるとベランダにとび出す。遠く市街地の灯りの海の一角に、小さな花が開くように光の玉がはじける。いくつか花火が上がったあとに、だいぶ遅れて音だけが雷鳴のように届くのだった。
8月1日は、日本一といわれるPLの花火。近くの丘陵の上に10万発の花火が炸裂する。仕掛花火は丘陵の黒い影に遮られて見えなかったが、真昼のように燃え上がる空と、地鳴りとなって届く音のどよめきで、仕掛けの豪華さが想像できた。
さらには大阪湾をはさんで、海の向こうの神戸や淡路島の花火、淀川沿いのあちこちで上がる遠くの花火、近くの暗い森のかげから突然噴きあがる大輪の花火など、毎日のようにどこかで花火が上がっているものだった。

9階の観覧席は、阪神大震災では大揺れに揺れて、生きた心地もしなかったけれど、1日の半分は空を漂っているようで、どこかで花火のあがる夜は、蒸し暑くて長い真夏の夜を忘れることができた。
いまは地べたの近くに住んでいるので、もう遠い花火を見ることはできない。
今夜は、いよちゃんと妻と3人で、近くの砂場で久しぶりのささやかな花火をした。
いよちゃんが恐がるので、音の出る花火や、空へ飛んでゆくロケット花火、地面を走り回るねずみ花火はない。1本ずつマッチで火をつけて、さまざまな色を噴き出す花火を静かに楽しんだ。
はじめは半分だけのつもりが、興に乗ったいよちゃんが次々に花火を取り出すので、ぼくもせっせとマッチを擦りつづけた。考えてみれば、マッチの火遊びも久しぶりで、花火の明りでよく見ると、忘れるほど昔に入った喫茶店の古いマッチだった。

夜中、お泊りさんは半分寝ぼけて暑い暑いと騒ぐ。パジャマをはだけてお腹を出す。さかんに転げまわって襖を蹴る。賑やかで大変な夜だった。眠ってしまえば、まだ幼い子どものままだ。
花火のあとは、真夏の夜の夢までも焦がす、大阪の長い熱帯夜なのだった。



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Category: <新エッセイ集>
Published on: Thu,  10 2017 07:53
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